小説 川崎サイト

 

運命の神

川崎ゆきお



 人の運命は決まっているのかもしれない。そう思える瞬間が何度もあるはずだ。
 ただ、それを意識しているときと、そうでないときがある。
 当然の因果なら、運命的な意識はしないだろう。
 前田は運命論者ではない。だが、誰もがそうであるように運命のいたずらのようなシーンを何度も経験している。
「そういうこともあるんだ」
 と、一瞬感じるだけで、その後忘れている。
 人生は決まっているとは考えていないからだ。それは意志があり、行動があり、その結果として出るべきものが出る。その意志さえ、運命付けられた発想だとは思っていない。これは健全だろう。というより当たり前の話に近い。
 意志や行動の裏側で糸を操っている運命の神がいるとは思えない。
 運命の神がいるのなら、一人の神が何人担当するのだろうか。
 たとえばそれを背中にいる背後霊や、守護霊としよう。
 人口が増えれば、足りなくなる。
 前田はそう考える。
 昔、ある宗教家に「あなたの背後には先祖の霊がいて、守ってくれている」といわれた事がある。その守護霊が宗教家には見えるらしい。
「先祖の霊が足りなくなりませんか」前田が聞いた。
「今生きている人より、亡くなられたご先祖さんのほうが数が多いでしょ」
 確かに石器時代から数えれば、死んだ人のほうが多いかもしれない。
 前田は運命の神が、霊魂だとは考えていない。家庭教師のようにマンツーマンでいるとは思えないのだ。
 前田の思う運命的な出来事とは、そういうことではない。因果関係のないところで、絵に描いたような筋書きができているようなシーンに遭遇する事がある。
 これもまた、意識的になるから、話を自分で組み立ててしまうためかもしれない。
 あるものを不運にも失ったとき、別の何かが浮かび上がってくる。たとえば愛用のカメラが故障し、使えなくなったとき、それまで放置していたカメラが浮かび上がる。
 逆に何かを得たとき、何かをなくす事がある。決して消えてしまったわけではないが、それを使わなくなったりし、自分の世界から消えてしまう。そのものは消えはしないのだが。
 前田は運命的な個人神話に遭遇するたびに、ダイナミックな動きを感じる。
 ただそれだけのことで、しばらくすれば忘れてしまう。
 
   了

 


2008年07月4日

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