小説 川崎サイト

 

偽記憶

川崎ゆきお



 都合の悪いことは忘れるようだ。思い出したくないためかもしれない。
 しかし、思い出したくないことでも思い出してしまうことがある。都合の悪いことでもずっと記憶に残っていることもある。
 では、どんなことを忘れてしまうのだろうか。三日前食べた夕食は思い出すのに苦労する。三年前なら不可能だ。これは都合の悪いことでも、思い出したくないことでもない。三年前の夕食の記憶は賞味期限が切れているのだろう。あまり必要ではないからだ。
「しばらく忘れていて、何かのきっかけで急に思い出す記憶はありませんか」
「ありますねえ。それが何か?」
「その思い出したことも、また忘れてしまうことはありませんか」
「ああ、あるかもしれませんねえ。偶然思い出したときの、そのときの思い出し記憶でしょ」
「そうです」
「でも、どうして、そんなことを、聞くのですか」
「記憶はどこに保存されているのか……とかは面白くありませんか」
「脳じゃないのですか」
「まあ、それが一般的な答えかもしれません」
「で、結局なんでしょうか」
「五年前貸したお金なんですがね」
「借りましたか?」
「また、とぼけて」
「記憶にないのですがねえ」
「覚えているくせに」
「本当に忘れてしまってるのですよ」
「今まで、忘れていたのは確かでしょ。でも、こうして催促されると思い出せるはずですよ。この種の記憶は印象に残りますからねえ」
「そうなんですか」
「とぼけないで。私は、君に貸したことを忘れていました。それはありえることです」
「じゃ、どうして思い出したのですか」
「職を失いましてね。生活費を工面する必要があるのですよ。それで思い出したのです」
「そういわれても、僕には借りた記憶がないのです。今まであなたから借りたことはないはずです」
「とぼけないで」
「とぼけているのは、あなたじゃないですか」
「いや、君のほうです。都合が悪いので、忘れたふりをしておるのです」
「ひどい言いがかりだ。お金が必要ならお貸ししますよ。お世話になった先輩ですから」
「借りるのではなく、返してもらうのです」
「じゃ、そういうことで、ご用立てしましょうか」
「そうか、すまないなあ」

   了

 


2008年07月5日

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