小説 川崎サイト

 

動く縁台

川崎ゆきお



「縁台が出るんですよ」
 髪の毛が一本もない老人が言う。
「エンダイ?」
「腰掛ですよ」
「ああ、あの縁台か。茶店にあるような」
「畳一畳分ほどの面積ですよ」
「それは大きいなあ」
「路地で将棋を指している絵が浮かびましたよ」
「それそれ、それが出るんですよ」
「将棋を指している人がですか」
「いや、縁台だけです」
「誰かが出したんでしょ」
「もう、縁台持ってる家なんてないですよ」
「どこなんです。出るのは」
「高層集団住宅の下です」
「はあ」
「結構広いんですよ。何棟もありますからね」
「どうして、私のところへ」
「先生は、妖怪の研究家だと聞きましてね」
「その建物は、どこですか」
「西岩井町です」
「遠いですねえ。そこから、わざわざ」
「市役所で聞きましてね。相手にしてくれません。まあ、県営住宅だから、管轄外なんでしょうね」
「あそこは確か…」
「木造の県営住宅があった場所ですよ。まあ長屋のようなものですか」
「その時代は知りませんが、これで、正体は分かりました」
「やはり、昔の路地裏時代の名残でしょうか」
「名残ねえ。いい言葉です。雰囲気がありますよ」
「じゃ、縁台の妖怪でしょうか。あの時代の」
「それはいつ出るんです」
「今年の夏からですよ」
「その縁台は本物ではないのですか。昔のものを持っている人がいて」
「無理ですよ。畳一枚ですよ。どうやって部屋から持ち出すんです」
「そうですねえ。棺桶の出し入れもできないようですからね」
「それに、動くんですよ。その縁台」
「じゃ、ナマモノですな」
「生きてるんだよ。あの縁台」
「まあ、相手にしないことですよ」
「知らないと、腰掛けてしまうんですね。すると動き出すんですよ」
「動く縁台ですか」
「どうすればいいんでしょう」
「それは風物ですよ」
「まあ縁台だからねえ」
「物の化け物です。もののけです。珍しいですから、そのままにしておくべきでしょう」
「祟りとか?」
「出番がないので、出てきただけですよ」
「そ、そんなものですか」
「はい」

   了



2008年09月17日

小説 川崎サイト