小説 川崎サイト

 

深夜鉄道

川崎ゆきお



 夜中のことだ。
「二番線ホームに入ります。停車時間は三分です」
 自転車に乗った男が小声で言う。
「稲野行き、ただいま発車します。なを、この列車が先着します。特急の追い越しはありません」
 男は歩道の段差に足をかけた状態で、そういってるのだ。
「稲野線稲野行き、ただいま発車します」
 男は段差から足を離し、ペダルをこぎ出した。
 毎晩そんなことをやっているため、ついに通報された。
「職務質問です」
 巡査は一人だ。
 巡査は単車で男の自転車に接近した。
 男はよく聞こえなかったようだ。
「あのう、職務質問ですが。いいですか」
 男は自転車を止めた。
「遅れますので」
「この夜中、どこへお出かけですか?」
「次の駅の到着時間が遅れますので、非常時ではない限り、停車したくないのですが」
 しかし、男は片足を地面に付けていた。
「駅?」
「次の駅は、村岡町です」
「そんなところに駅はありませんよ」
「稲野線の駅ですよ」
「だから、そんな駅なんて、ありませんよ」
「じゃ、ご一緒しますか」
「それより、何をしているのですか。自転車で」
「見りゃ、分かるでしょ。電車の運転ですよ」
「それ、自転車でしょ」
「電動自転車ですよ。だから、電車です」
「あまり、うろうろしない方がいいですよ。通報を受けてますから」
「何か、私が」
「だから、夜中に自転車で、何度も何度も同じ場所を回っているようなので」
「同じ場所じゃないですよ。終点の稲野駅から、次は、松下線が繋がってましてね。そちらは、違う路線を走りますよ」
「松下町はありますが、駅なんてないし、電車も走ってませんよ」
「私の鉄道が走ってますよ」
「でも、電車なんだから、乗客がいるでしょ」
「いますよ」
「はいはい、いるとしておきましょう。それはいいけど、ホームはどこにあるんです。レールはどこにあるんです」
 巡査は本来の仕事を忘れたようだ。
「ここに単線が走っているじゃないですか」
 男は車道と路肩を区切る白線を指さした。
「この上を走っているのですか」
「そうですよ。テクニックいるんですよ」
「じゃ、ホームは」
「ホームだらけですよ」
 男は道路と歩道を区切る段差を指さした。
「苦情が来ますので、その行為はやめてもらえませんか」
「迷惑なら、やめますよ。別の町で営業します」
「営業?」
「はい、また新路線を作り、駅を作ります」
「ご主人?」
「誰ですか。私、ご主人じゃないですよ」
「じゃ、あなた」
「はい」
「ややこしいことは、もうやめてくださいね」
「はい、分かりました」
 巡査は、もう相手にしないことにした。一応注意を与えたのだから、任務は果たしたことになる。
「村岡町駅の近くでトラブルが発生しました。到着時間が少し遅れます」
 男は、電動アシスト自転車の電源を入れ、ういーんと音を立てながら、出発した。

   了

 


2008年10月21日

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