小説 川崎サイト

 

自由の民

川崎ゆきお



 生きる意味を課せられていた時代から、見出す時代になっていた。
 老紳士は最初それを歓迎した。
 いつ頃だろうか。
「いつ頃ですか?」
「自由になってからだな。何をやってもかまわない時代になってからだ。何でも好きなことが出来る時代ね」
「昔はそうじゃなかったと?」
「自由はなかったさ」
「それはいいことなんでしょうか」
「君は、そうは思わないのかね」
「自由なんてありませんよ。旦那のように」
「私は旦那じゃないよ」
「わしから見れば、旦那さんだよ」
「確かに私は自由だと思う。しかし、それが幸せだと最近思えなくなった」
「それは、旦那の様子を見りゃ分かりますぜ」
「どういう風に」
「何か、やろうとしている目つきだ」
「ほう」
「元気なんだな。旦那は」
「どういうことだ」
「わしなんて、なにもありゃせん」
「私から見れば、君なんて、自由の民だと思うがな。好きな場所へ行き、好きな場所で寝る」
「野良犬だよ。別に目的なんてないさ」
「私はどうだ」
「旦那は自由はあるが、何をやっていいのか探しているところ」
「当たっているなあ」
「何でも出来そうで、出来ない。そうでしょ」
「そうだ」
 老紳士は立ち上がった・
「もう、行くのかい。このキャンプ地にいりゃいいんだよ。旦那も同類なんだから」
「私は、何でも出来るんだ。しかし、意味が見えなくなった」
「そんな同類沢山見かけますぜ。ここに立ち寄ったまま、このキャンプ地に居着いてしまったり」
「私は世間に戻れば、何でも出来るんだ」
「じゃ、旦那、お元気で」
 浮浪者は手を振った。
 老紳士は、自分は彷徨っていることに対し、恥ずかしく思った。
 金も暇もある。やろうと思えば何でも出来そうなのだが、確たる意味が見出せないのだ。
 そして自由の民がいるキャンプ地を訪れたのだが、ただ生きているだけの生き方を見ただけだ。
 ただ生きているだけと、意味を見出して生きていることとの違いが、果たしてあるのだろうかと、老紳士は感じた。

   了

 


2008年10月22日

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