小説 川崎サイト

 

自転車泥棒

川崎ゆきお



 定年退職後、やることがないので、町中をうろうろしている男がいる。
「ない」
 男は呟く。声には出していない。
 ショッピングモールの駐輪場整理員がずっと男を目で追っている。
 整理員は男よりもかなり年上で、見た目は老人だ。
「ない」
 男は、次の列を探す。
 巨大なショッピングモールなので、出入り口が数カ所あり、駐輪場も数多い。
「確か、ここに止めたはずなんだが」
 男は来たときの道筋を確認する。
「間違いない、国道から入ってきたのだから、北口のここで間違いはない」
 男は次の列を探す。
 整理員が近づく。
「ない」
 男は今度は声を出す。
「ご主人、その手は古いよ」
「はあ?」
「自転車探してる振りしてご主人、鍵のかかってないの探してるでしょ。図星でしょご主人」
「何のこと」
「よく盗まれるんだよね。ここ。鍵だよ鍵。鍵のかけ忘れだよ。そういうの一台ぐらいある。ご主人、それ狙いでしょ」
「失礼な」
「私も昔やってたから分かるんですよ。目つきで分かる。ご主人の目は鍵ばかり見ている。そうでしょ」
「僕は僕の自転車を探してるんだよ」
「じゃ、どんな自転車、言えないでしょ。私も言えなかった」
「黒い自転車だ」
「また、適当なこと言って。それでどんな形。ハンドルは? フロントバスケットある? ママチャリ? リアにカゴ積んでる?」
「普通の黒い自転車だ」
「言えないでしょ。ご主人」
「ハンドルはある」
「そりゃ、あるでしょご主人。なければ走れないからね。悪いこと言わない。立ち去った方がいいよ。いくらにもならないしね。自転車余ってるんだよ。ここに捨てに来る人だっている。ほら、あそこの列、ロープ張られてるでしょ。あの列全部放置だよ。捨てに来たんだよ。だから、盗むんなら、あれ持って行ってかまわないよ。内緒だけどね」
 男は、自転車で来たのではなく、歩いて来たのかもしれないと、思い出そうとした。
 しかし、徒歩での記憶はない。やはり自転車で出かけた記憶がある。
「昔だよ。盗んで金になったのは、私は卒業したけどね」
「あった」
 男は黒い自転車を奥の列で発見した。誰かが移動させたのだ。
 そして、ポケットから鍵を出し、がちゃっと開けた。
 整理員の姿は消えていた。

   了

 


2008年10月23日

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