小説 川崎サイト

 

体験記

川崎ゆきお



「どこまで話したかね」
「戦争終了で引き揚げ船で戻られ、闇市で活躍するあたりからです」
「まだ、若かったねえ」
「闇市で色々とご商売されたようですが」
「それを言うの」
「はい」
「これ、本になるんでしょ」
「はい」
「言えないなあ、それじゃ」
「話せることだけで、いいですから」
「あ、そうなの」
 老人は目を閉じた。
「軽いエピソードなんかでも結構ですよ」
「あの頃は無茶苦茶でな。何でもありだった。食べることが最優先でな。食糧難なので、食べるものがない。しかし米はある。農家にな」
「はい」
「いや、やめておこう。悪い話なんでな」
「ここが一番面白い話になると思うのですが。戦争の話は悲惨ですが、戦後のどさくさはそれなりに楽しいかと」
「ああ、楽しかったなあ」
「その話を一つ」
「こんな話、意味あるの?」
「貴重な体験を後世に残すために」
「読む人いるの」
「貴重な資料となりますから」
「資料かい。一般の人は読まないんだね。まあ、わしもそんな本出ても読まないがね」
「売るために作る本ではなく、いい本を作りたいのです。貴重な本を。昔の本はそうだったでしょ」
「あまり読んでないから、分からんが」
「敗戦後の苦労話を、今の若者に読ませてやりたいのです」
「終戦だよ敗戦じゃない」
「はい」
「まあ、そういう人、読まないんじゃない」
「誰かが読み、それを伝えることもあるんですよ。また、そのことが書かれたものが存在するだけでもいいのですよ。そうでないと、忘れられてしまうでしょ」
「それでいいんじゃない」
「いえいえ」
「鎌倉時代の百姓の話は貴重だね。資料が少ないから、貴重なんだ」
「そうですね」
「古文書なんて、何書いてあるか、分からないしね」
「詳しいですねえ」
「友達に郷土史家がいてね。そんな話をやってた」
「それも残っているからこそ、事実が分かるのです」
「今日は調子が出ないから、明日にしてくれないかな」
「はい、いいですよ」
「ところで本代だがね」
「出版費ですか?」
「ああ、ペイジ数もう少し短くならないかね。生活がきつくて、払えそうにないんだ」
「はい、検討してみます」

   了


2008年11月22日

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