猟奇王 シルク如来
川崎ゆきお
夜ではないが、かなり暗い。
暗雲が陽を塞ぎ、大量の雨となって地面を叩きつける。声が聞き取れないほどの土砂降り。
その中を骨の折れたビニール傘で歩いている男がいる。スーツ姿だが上下の色や柄が僅かに違う。上着のボタンはとめていない。ダブダブのズボンを寝間着の紐のようなものを通して結んでいる。素足で下駄履きなのは雨のためではない。この男のいつものスタイルなのだ。
軒下で男は傘をとじる。不精髭が顔面を覆い、髪の毛はもつれに任せている。
閉じられた門に向かい、大声で叫ぶが、雨音が声を奥へは届けてはくれない。
男はインターホンを見つける。「会長が本当に呼んだんだね」戸田という運転手兼秘書が問う。
「そうだ」
男は勝手口から土間に通された。
「花田と言えば分かります」
「約束でもしたの? 会長は滅多に人をここには呼ばないし、会わないよ」
「呼ばれた。ここに来るように」
「うまいこと言って、何企んでるの?」
「な何も…」
「最近のホームレスも知恵がついて、いろんな方法使ってくるからね」
「ぼ僕は何も使ってません。特に、知恵には疎いです」
「用事、まだ聞いてないよ」
「それは秘密です」
戸田はポケットから五百円玉を取り出し、ポイと土間に投げた。
「あっ」男は反射的に素早く拾う。
「これで勘弁してよ」
「貰えるのですか?」
「そのかわり、一回きりだからね。誰に教えて貰ったのか知らないけど、一回きりだよ」
男は五百円玉をポケットに急いで入れた。
「助かります」
男はまだ突っ立っている。
「まだ用があるの?」
「はい」
「善意だよ。善意がなきゃ、こんなことしないよ。もっと他にやり方があるんだからね。こんな好意的で、甘いやり方、本当はいけないんだよ」
「はい。有り難いと思っています」
「じゃあ、帰って!」
「あのう…」
「何だよ?」
「どうして、お金を…」
「施餓鬼だよ」
「はあ?」
「うちは大店だからね。これぐらいはするさ」
「暇なんですか?」
戸田は首をかしげた。
「いや、いろいろ手間なことやるから、暇なのかなあって」
「こういう相手をするのが、私の仕事なんだ」
「じゃ、仕事して貰えますか」
「だから、やってるでしょ」
戸田は男の胸を両手で押した。
「あ、もろ手突き」
男は戸田の両脇に腕を差し込んで抱き着いた。
もろ差しが決まった。
「な、何を…」
男は両手で揺すった。
両手を離すと、戸田は腰砕けに崩れた。
「ドロボー」
戸田の声で、奥から老人が出て来た。中庭は濡れていた。地面が池のように見える。雨が降り、水溜ができることを想定して作った庭かどうかは分からない。
座敷からその中庭が見える。
男と老人が向かい合って座っている。
「御足労願ったのには、それなりの事情がある」
「はい」
「まだ、こういう人がいたんだなあ」
老人は、男をじっくりと見る。
男は正座を崩さない。
「花田さん…でしたか」
「はい」
「沢村さんは?」
「伯父は体調が悪いらしくて、ぼ僕が代わりに…」
「それはいけませんなあ」
「はい」
「大丈夫ですか?」
「な何がですか?」
「あなたで…」
「あ、はい」
「これは秘密を要する事件です。公にはできません。いや、したくないのです」
「はい」
「だから、あなたで大丈夫かなと、お聞きしたのです」
「自分は秘密厳守です」
「そう願いたいですな」
「それで、どんな事件でしょうか」
「まだ、事は起こっておりません」
「なーんだ」
「花田さん?」
「はい」
「あなたは稚拙か?」
「え、膣」
老人は咳払いした。
そして、何かを納得したようだ。
「では、お話しましょう」
「はい、うかがいます」
「実はこういうものが届いたのです」
老人は花田に紙切れを渡した。
「クリーニング上着三着千円特価」
「その裏です」
花田は広告を裏返した。
「どうです?」
花田は、手書きの文字列をじっと見ている。
「意見を聞きたい」
花田は、まだ沈黙している。
「悪戯だ」シルクニョライヲイタダク リョウキオウ
そこにどうして原っぱがあるのかは分からない。その真ん中辺りに怪人のアジトがある。解体し忘れたように残る二階建てのビル。
「さて、大将」忍者が居眠っている猟奇王に話しかける。
猟奇王は机に顔を伏せたまま眠っていたようだ。
「どうした。忍者」
「あのことですが?」
「あのこと?」
「酒造メーカー会長宅へ出した予告状のことでんがな」
「何が、でんがなじゃ」
「出しましたで」
「御苦労」
「さて、その後の作戦やけど?」
「何が?」
「その後の作戦をどうするか、これから参謀会議開きますのやないか」
「どこに参謀がおる」
「わてでんがな」
「貴様はわしの手下の忍者ではないか」
「そうでんがな。忍者は運動能力だけやのうて、知略もありまんねんで」
「そうは見えぬが」
忍者は覆面からクチバシのような口を尖らせた。
「終わった」
「えっ!」
「だから、終わったと申しておる」
「何を申しますねん…これからでんがな」
「予告状を出した」
「そうでんがな。わてが、しっかりと屋敷に投げ込んできましたで。さあ、それからでんがな」
「それからはない」
「ない?」忍者はその言葉を何度も連呼した
」
「ないは、ないでしょ。ないは」
「首領に逆らうのか」
「そうやおまへんけど、ないはないわ」
「ないはない。深き言葉よ物言いよ」
「予告状が嘘になりますがな」
「それでよい」
「ええことありますかいな」
「波風立てず、ゆるりと日常がおくれる」
「そしたら、何で、予告状出しましたんや」
「出すために出したのよ」
「つまり、何の思慮もなしに、出したと言う事でんな」
「思慮?」
「考えでんがな」
「考えはある」
「ほな、言うてもらいましょか」
「貴様は何だ?」
「忍者でんがな」
「それが世の中で通じるか?」
「え?」
「忍者など、この現実で通じるかと聞いておる」
「通じまんがな。忍者言うたら、世間の誰にでも通じますがな」
猟奇王はそれ以上突っ込まない。
「まあ、それはよい」
「で、何の話でした?」
「予告状を出し、それですべてが終わったということじゃ。わしは寝るぞ」
「大将、それでは成立しまへんやないか」
「あのようなことは、世間では通用せん」
「通用したら、どうしますのや」
「その時は、その時、なるがままよ」酒造メーカー会長の名前が酒田。分かりやすい名前だ。
ビリヤードの名人の名が玉田と言うのと同じほど分かりやすい。
酒田老人は探偵花田寅次郎の反応を見ている。
花田は予告状を何度も何度も見ている。
「あと一着あればいいんだけど」
「それはどういう推測ですかな」
「三着千円…。このスーツを出そうと思うんだけど、上と下だけで二着でしょ。それなら割高かと」
「やはり、変わっておられますなあ」
「いやいや、もう分かりましたから」
「予告状の意味がお分かりか?」
「リョウキオウは猟奇王だ」
「それで?」
「怪人だ」
「こういう予告状を出すなら怪人でしょうな」
「知ってる。この男を」
「お知り合いか」
「友達じゃないよ。有名な怪人だ。まだ活動してたんだ」
「随分探しました。沢村探偵なら解決してくれると思いましてな。あなたはその部下ですね」
「はい。沢村探偵事務所に所属しています」
「その事務所を探すため興信所に依頼したほどです」
「そうなんだ。でも、暇だよ」
「怪人専門の探偵など、世間にざらにおるものじゃない。需要がないところに供給なし」
「ないですねえ。伯父は暇なのでゲームばかりしてます。それで体調を崩したんだ」
「私はその猟奇王と名乗る怪人は知りません。日経新聞に載る機会も、商工会議所で話題になることもありませんからなあ」
「お爺さんはこのリョウキオウと言う文字が気になって、専門探偵を呼んだのですか」
「そうです」
「悪戯だとは思わなかったのですか」
「こんな悪戯をする人間がいたとすれば、それは怪人の仕業かと…」
「このシルク如来とは何ですか?」
「シルク如来。それを知っておる人間は稀、シルク如来という呼び方をする人間も稀」
「すると、最初から悪戯ではなく、本当のことだと思ったのですね」
「そうじゃ」
「では、シルク如来とは何でしょう?」
「西域の仏で、わしが所有しておる」
「ああ、絹の仏かと思った。ではシルクロードのことですね。伯父さんは痔も患っていて、絹のパンツをはいてます」
老人は頷かなかった。住宅街でも、家を建ててはいけない場所がある。
それが家と呼べるかどうかは疑問だが、人が住む構造物がある。
「ほんまに、やりましたんか?」
ベテランホームレスの殿山が猟奇王に聞く。
「予告状は出した」
「前にも言いましたけど、あれは贋作でっせ」
「そう思うか?」
「わいも聞いただけの話ですからなあ」
「シルク如来は実在するのか?」
「本物があるからニセモノがありますのやろ」
「その本物はどこにある」
「シルクロードのどこかやろ?」
「酒田はそれを知っておるのか?」
「偽物と分かってて持ってはるみたいでっせ」
「まあよい…偽物でも値はつくはず」
闇には闇の世界がある。闇や裏は光や表があるからできてしまう。
猟奇王は怪人だがそういう職業はない。怪しいものは善くない存在だ。泥棒という職業はないが、プロの泥棒はいる。これは大昔からいるだろう。
猟奇王は盗賊ではない。泥棒は盗むことで生計を立てている。彼はそれがメインではないようだ。なぜなら黒いスーツに黒い仮面を付けている。そんなことをする泥棒は、私は怪しい人間だと言い触らしているようなもの。
手下の忍者も、絵に書いたような忍者装束で、背中に刀をさしている。メリットよりもデメリット、リスクの方が遥かに大きい。
「お爺さん、質問があるんですが」
花田探偵が蓄膿声で尋ねる。
すっかり雨は上がり、中庭の水たまりもひいている。花田は離れの一室を与えられ、そこで番犬のようにシルク如来を守っていた。
「この仏像を盗みにくるらしいですが、どういった物でしょうか?」
「骨董品じゃ」
「では、霊験あらたかな仏様ではないのですか」
「美術品じゃよ」
花田は床の間に鎮座している身の丈三十センチほどの仏像を見つめる。
「顔が変ですねえ。外人みたいだ」
「酒田さん。猟奇王がこれに注目したのには、きっと深い理由があると思うんだけど。どうですか」
「さすがに探偵さんじゃ。そこに頭が回りましたか」
花田は頭をぐるぐる回す。
「ぜひ経緯を聞きたい」
「これはわしの祖父がとある好事家から買い受けた物でしてな。まあ、盗品の噂もあります」
「ああ、これも盗まれた物なんだ」
「盗品というより盗掘ですかな」
「その中国の奥で…」
「もっと西らしいが、日本の調査団が持ち帰った物じゃと聞いております」
「泥棒団か?」
「欧米からも調査団が何組も行ってたらしい。まあ、競争じゃよ。壁画を剥ぎ取ったりしてな。持ち帰っておったようじゃ」
「そんなことできたんだ」
「持ち帰らんと、保存が悪いは、破壊はするはで、妙な正義漢がまかり通っていたんじゃ」
「日本も参加したのですね」
「小谷東洋研究所が参加した」
「聞いたことないです」
「今の小谷大学じゃよ」
「名門私大ですね」
「大きなお寺さんの親分が出資しておったらしい」
「ああ、じゃあ、遣唐使みたいに仏像やお経や仏具とかを持ち帰るのと同じか」
「かなり違うが、まあ、古美術品ではのうて、実用品じゃからな。そのころ集めた物は小谷東洋美術館へ行けば拝見できる」
「では、シルク如来も、そこにあったのですね」
「詳しいことは知らんが、祖父はブローカーから手に入れたようじゃ。そのころは儲かっておったからのう」
花田はもう一度シルク如来を見る。
妙に色っぽい曲線で、乳房の膨らみは女だ。彫りの深い顔立ちで、目が吊り上がり、よく見ると怖い顔だ。
「これは誰ですか?」
「阿弥陀様じゃよ」
「南無阿弥陀仏のあれですか?」
「死ぬ前に、南無阿弥陀仏と唱えれば、すべて許され、極楽往生できる。泥棒も人殺しもな」
「それは便利だ」
「祖父や親父は有り難がって、隠れ念仏を、ここで行っておったらしい」
「え、この離れで」
「改装したが、もとはお堂じゃ」
「そうなんだ。家の中に自分のお寺があるなんて、凄いなあ」
「まさか、これが狙われようとはのう」
「流石猟奇王。臭い物がよく分かる」
「臭いじゃと」
「いえ」
「この仏が臭いとでも…」
「いえ、匂いません」
猟奇王が公園から戻ると、忍者の姿がない。
アジトの一階にいるのかもしれない。このビルは入り口からいきなり階段があり、一階へは二階の廊下にある階段で降りる。
つまり二階より一階のほうが奥まった場所にある。実は一階にはトラックが入れるほどの扉があったのだが、コンクリートで塗りつぶされている。
猟奇王はその一階へ降りた。
機械類が並んでおり、発電機まである。
ベニヤで仕切った小部屋に忍者がいた。眠っていた。
「忍者。食べる物はないか」
声で忍者は起きる。
「あ、大将、こんなところまで…」
忍者はムクリと起き上がる。
「呼び鈴押したら、行きますのに」
「貴様は介護人か」
忍者は部屋を出て、別の小部屋に入る。
「カップうどんやったらありまっせ。どれにしましょ? きつねうどんと天ぷらうどんと、カップヌードルもありまっせ。シーフードとカレーも…」
これらの食べ物は忍者がパチンコで稼いだ景品だ。
「下忍はどうした?」
「田植えで帰ってま」
「季節労働者だったのか」
「大将もそうやおまへんか。滅多に活動せえへんねんから」
「一仕事で数年食えれば言うことはないがな」
「そんなこと、いまだかって一度もおまへんでしたで」
「今度はそうなるやもしれんぞ」
「大将にやっと動く気が出て、嬉しいですわ」
「運動不足で、体がなまるのでな。たまには走らねば」
「そうでんがな大将。走っておくんなはれ。もうロマン派の怪人続けているのは大将一人でっせ」
「八百屋の大将のように言うな。首領と呼べ」
「そうでんなあ」
「今夜走る。安心致せ」
「はっ、首領!」
いくたびか猟奇王は、このようなことをしていた。だが、成功例は殆どない。
煌々と照る月が中天にカッと映える。猟奇王と忍者は深夜の高級住宅街を走る。
目指すは酒田屋敷。タッタタッタと駆け抜ける二つの影。
やがて眼前に門。
「塀を乗り越えまんで」
「任せる」
忍者は縄を取り出した。
離れに布団を敷き、花田探偵は眠っている。予告状には予告時間はない。昼夜見張るしかない。地味な仕事だが、寝ておればよい。
探偵のカンか、はたまた単に動物的カンか、花田は目だけカッとを開けた。何かを感じるのだ。
むくっと上布団を撥ねのけるが、それだけだ。
目を覚ましたついでに便所へ行くことにする。
母屋と繋がる廊下を進むと突き当たりに便所がある。ぐっと板戸を引く。
「わっ」
花田の髪の毛、総立ちとなり、倍のボリュームとなる。
「曲者!」
花田、懐に忍ばせた十手を抜き、振り下ろすが、暗くて目標を失い、僅かな手応えしかない。
「ううううっ…君い! 痛いじゃないか」
酒田老人がしゃがんでいた。
「あ、失礼」
「それは何だ?」
「えっ、ど、どれですか」
「君が手にしておるものじゃ」
花田は十手を見せる。
「そんなもの、どうして持っておる」
「刃物は銃刀法違反です。だからこれを武器に」
「他になかったのか?」
「あと三本あります。太秦の時代劇村のがリアルにできてます」
確かに民間人が拳銃を持つわけにはいかない。
「まあ、いい。それより戸を閉めてくれんか」
「あ、失礼。でも電気つけて入ってね」
敷地内に入り込んだ猟奇王と忍者は、屋敷を窺う。雨戸が、ずらりと並んでいる。
「赤穂浪士の討ち入りみたいでんな」
「余計なことを」
「さーて、シルク如来は何処にありまんねやろなあ」
「探って参れ」
「絞め上げたほうが早いでっせ」
「それでは強盗じゃ」
「そうでんなあ」
「すっと、消えたが如く無くなっておるのがよかろう」
猟奇王はポケットから紙切れを取り出した。
シルク如来は頂いた 猟奇王
と、記されてある。
「これを残して帰るのよ」
「どこを探したらよろしまんねん。屋敷は広いでっせ」
予告状を見たはずじゃ、必ず防御しておる。それであり場所が知れる」
「なるほど」便所から出た花田探偵の頭に何かが付着した。小さな黒い固まりだ。
その固まりがブーンと花田の頭の回りを弧を描くように飛んでいる。
「便所バエだ」
酒田老人が言う。
「かなり大きいなあ」
「この便所の主じゃ。君は好かれたようじゃな」
「それより急いで戻ります。留守の間に盗まれていたら大変だ」
「そんな僅かな時間では無理じゃろ」
花田は急ぎ足で廊下を駆ける。カッカッと蹄のような音が立つのは足の指が伸び過ぎているからだ。酒田老人もあとを追う。
花田は蛍光灯をつけ、床の間を見る。
シルク如来は無事なようだ。
「大丈夫ですよ。お爺さん」
「そうか、無事でなにより」
「明かりがついてる部屋がありまっせ」
庭の植え込みで待機していた猟奇王に忍者が報告する」
「忍び込め」
「はっ」
日本家屋には床下がある。忍者はイタチのように潜り込んだ。
部屋の真下だが、床板を破り、畳を跳ね上げるには時間がかかる。
離れの前で、猟奇王は苛立った。
忍者は携帯ノコギリで床の杉板を切っている。
「何か聞こえるぞ」と、酒田老人が小声で花田に伝える。
「すみません。腸の調子が先程からゴロゴロと…」
「いやギコギコ鳴っとる」
「そういえば、下から」
「花田さん。もしや怪人が来たのでは」
「でも、畳を上げて下から侵入しなくても、このガラス戸、鍵がないから、入れるのに」
その時ガタンとガラス戸が開いた。
半畳の幅に立つ猟奇王。
「出たー」
花田は十手を掴むや一気に猟奇王目がけて振り回す。猟奇王、さっと身を沈めたついでに花田の乗っている布団を引っ張った。
ズテンと転ぶ花田。
老人は部屋の隅で念仏を唱えた。
猟奇王、床の間へ擦り寄り、シルク如来をガバと掴み、
「猟奇王、約束通り頂いた」
言うなり、領収証でも切るかのように、紙切れがさっと舞う。
シルク如来は頂いた 猟奇王
と、記されたあの文面だ。
素早く部屋から逃げようとするところを、花田の腕が猟奇王の足をタックル。
「猟奇王、探偵花田寅次郎が捕獲したなり」
タックルで倒した猟奇王の足に、我が足をからませ絞め上げる。四の字固めが決まっていた。
苦しさに、猟奇王バタバタと片腕を布団の上に叩きつける。
「お爺さん、今だ、仏像を」
酒田老人、猟奇王が握っているシルク如来を、グーと引っ張る。
老人の力では、もぎ取れない。
「早く、両手で」
「分かった」
花田、足の角度を変え、ぐいと締め上げる。
「何をする、痛痛痛…」
痛いがゆえに手に力がこもる。
ドシン。
酒田老人尻餅をつく。何かがもげた。
バッタの足がちぎれたように、老人の手に如来像の片腕が残っていた。
猟奇王、上体をくねらせ、床の間の柱にしがみつき、それを支えに、ぐいと体を反転。
「ギャー」
四の字固めをひっくりかえされた花田の激痛の悲鳴。
老人はもげた腕を見続けている。
猟奇王、足を外して立ち上がる。花田は起きようとするが足が痛くて動けない。
「猟奇王、シルク如来を頂いた」
腕がもげた如来像を握り、片手延ばして見栄を切る。
「おのれー猟奇王」と両手だけで詰め寄る花田を振り切り、廊下に飛び出る。
既に追う者なし。夜が明けると大雨だった。
「すみませんでした」
酒田老人は無言で頷く。
「きっとシルク如来を取り返してみせます」
「君は頭が回らんのか」
「はあっ?」
「あれは偽物じゃ」
花田は田螺のような目をする。
「でも、猟奇王を捕獲できなかったことが悔やまれます」
「如来像は別の場所に保管してある」
「それはよかった」
「君はもう役目を果たした」
「はい」
老人は財布から万札数枚抜き取り、裸のまま花田に差し出す。
「ごっちゃんです」
「それで、スーツでも買うことじゃ」
「はい」
「心配があります」
「何かな?」
「偽物だと分かれば、また猟奇王が」
「君の役目はここまでじゃ」
「では、本物はどこに?」
「聞きたいか」
「はい。お爺さんの知恵を聞きたいです」
「そうか」猟奇王がアジトに戻り、居眠っていると忍者が帰ってきた。
「ああ、大将、無事でしたか」
猟奇王はむくっと上体を起こす。
「どうしておった。消えたので心配しておったぞ」
「床下で仕事してました」
「畳は上がらんかったぞ」
「音を立てんように、水で濡らしながらゆっくりやってましたから、なかなか作業が捗りまへんでしたわ。大将が上でドタバタやってたのは聞こえてましたで。一応成功しましたやんか」
猟奇王は戸棚から片腕がもげたシルク菩薩を取り出す。
どうじゃ忍者。これを売れば、数年は食えるかもしれんぞ」
「残念ながら、それ、偽物らしいですねん」
「もともと偽物じゃと聞いておるが」
「偽物の、さらに偽物ですねん」
忍者が床下で聞いた事実を伝えた。
「それで偽物の本物は、何処じゃ」
「それも盗み聞きしましたで」
「手間取って床下滞在期間長いが故の恩恵か」
「怪我の功名とも言いま」
「本物は何処じゃ?」
「疲れそうやからやめときまへんか」
「疲労度の高い場所か?」
「裏アルプスの如来岳」
「疲れるのお」
「行くんでしたら、準備しまっけど…」
「やめておく」
忍者はほっとしたのか、キセルに巻タバコを突き差した。路上で拾ったシケモクだ。
「最近、タバコのポイ捨て減って、探すの苦労しますわ。それにボランティアが先に拾いよりますから、難儀してますのや」
忍者は猟奇王を刺激しないように、巷の話題を語り出した。
まだ、そんな所があるのかと思うような下宿屋。その二階で沢村探偵は療養していた。
体調不良で、甥の花田に仕事を振ったのだが、今、その報告を受けている。
「そうか、やはり猟奇王の仕業だったか」
「伯父さんに依頼したのは正解でしたね」
「酒田さんも、そこんところをようご存じじゃ」
「どうして猟奇王だと、あの爺さん分かったのでしょうか?」
「広告の裏に予告文を書く盗賊など猟奇王しかおらぬ」
「そんな約束事が…」
「酒田さんとは以前に仕事をした仲でな、怪人話をしたことがあった。それを覚えておられたのじゃろう。わしは行けなんだのは残念だが…」
「やはり僕だったからしくじったのかも…」
沢村探偵は布団の中で天井を見つめている。
「具合はどうですか」
「うう、寝たら治る…」
花田は、探偵の仕事がないので、翌日から交通整理の仕事に出た。
排気ガスで顔が真っ黒になりながらも、道路工事現場に立ち続けた。
猟奇王に四の字固めを裏返された痛みが妙に懐かしい。
猟奇王は本屋へ行き、日本地図で裏アルプス如来岳を調べるが、存在しなかった。
腕のもげたシルク如来は殿山を介して売ったが、千円札数枚だった。
「これでも骨董屋をだましてだましての値段やからなあ。本物やったら、出すとこ出したら、ええ値になったんやけどなあ」
「また、そういった秘蔵品の噂があれば教えてくれ」
「大将も大変やのう。怪人らしい仕事は滅多にありまへんで」
「なけれど、いつかまた、きっとある」
「…でんなあ」
殿山はアルミ缶を踏み潰し始めた。
「戸田!」
酒田老人が大声を出す。
「何でしょう会長」
「この床の間のシルク如来はなんじゃ」
「本物を奥の金庫から出して、置き直しただけですが、私が、傷かつけたとでも」
酒田老人はシルク如来の前で大きな口を開けて泣き出した。
「会長…」
「わしもボケたわい…」
「どういうことでしょうか」
酒田老人は、それ以上何も話そうとはしなかった。
了
2006年02月16日