小説 川崎サイト

 

陰間

川崎ゆきお



 市街地に旅館がある。観光旅館ではなくビジネス旅館だ。素泊まりの客が多いらしい。
 笹原は出張でその町に来た。ビジネスホテルがないため、その旅館に泊まることにした。
 昔の商人宿だろう。
 駅前にあり、目的地に近かった。駅五つ先に大きな町があり、そこにはビジネスホテルがあるが、少し遠い。
 笹原は商人宿に泊まったことがない。少し不安を感じた。
「やはり、遠くてもビジネスホテルにすべきだったのかも」
 と、思うものの好奇心が先走った。
 話のネタになりそうだ。
 セールスにはそういうネタが必要で、地元の宿に泊まるほうが、土地柄の参考にもなる。
 笹原は梅の間に通された。既に夕食時間は過ぎている。
「お布団敷いておきますね」
 いうなり女将がさっさと押し入れを開けた。「ビールありますか?」
「玄関に自販機ありますから」
 笹原は廊下に出た。
 玄関まで歩いていると、階段があった。二階があるのだろう。
 上の階を端から端まで歩き、降りてきて、自販機でビールを買った。
 帳場にさっきの女将がいる。
「陰間ってありましたが?」
 二階で見た部屋を笹原が言う。
「お使いになりますか」
「いえ……」
 女将は鍵を渡す。
「中で、少し待っていてくださいな」
 陰間とは、あれだったのかと、笹原は納得する。こういう旅館に泊まったかいがあったものだ。冒険心は必要だ。
 笹原は陰間を開けた。
 自分の部屋と変わらない。
 笹原は部屋を出て、隣の部屋名を見る。
 紫陽花の間となっている。その隣は菊の間だ。花の名前で統一しているようだ。
 笹原は三十分ほど陰間で待つ。
 先に布団を敷いておくべきなのかと、考えたりした。ルールが分からないからだ。
 やがて、男が入ってきた。かなり若い。化粧をしている。
 男は布団を敷いた。
「では」
 男は、そのまま布団の中に入った。
 そして、たじろいでいる笹原の手を握った。
「そういうことか」
 翌朝、冒険しなかった笹原は旅館を出た。高い宿泊料になった。
「陰間って、あっち専門のことか……」
 笹原は一つネタを仕入れたが、セールスでは使えそうになかった。

   了 

 


2008年12月5日

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