小説 川崎サイト

 

冬が来る前に

川崎ゆきお



 ハイカーが小さな滝の下に辿り着いた時、淵の岩の上でじっとしている人と出合った。
 ハイカースタイルではなく、カジュアルな普段着の青年だ。山登りできたわけではなさそうだ。
 さらに近くまで寄ると、上着はぼろぼろだ。
「どうかしましたか?」
「修行です」
 そういう姿には見えない。
「下界で厭なことがあったので、山ごもりです」
 どうやら精神的な人らしい。
「ここで暮らしているのですか」
「そうです。この先に岩穴がありましてね。穴じゃないけど、こう、岩と岩の隙間があって、そこで寝起きしています」
「引きこもりのようなものですか?」
「外こもりです」
「もうすぐ冬なので、これからは冬ごもりになりますねえ」
「ああ、そうなりますか」
「滝を見て、精神統一ですか?」
「この滝いいでしょ。マイ滝です。夏場は滝に打たれたりしますよ」
「精進してください」
「もう、十分鍛えたので、下界に下りても大丈夫なんですがね」
「ああ、そうなんですか」
「僕、精神的に不安定でしてね。それで、精神を鍛え直そうと、山に入ったのですよ。そういうシチュエーションが必要なんです。二年ほど山に籠もって修行したとかね。実際の成果よりも、そういうことやったという履歴が効くんですよ。自信になります。まだ半年ですから、何とか冬を越して、一年の山ごもり記録を……」
「寒いですよ。野宿でしょ」
「それなんです。朝夕寒くなってきて、ちょっと無理が出てきました」
「じゃ、下りたらどうですか」
「うんと寒くなり、耐えられなくなれば、下りますよ。今はどこまでいけるか実験中です」
「食べるものはどうしているんです?」
「下に茶店があるでしょ。そこで買ってます」
「楽しそうですね。キャンプですね」
「面白いですよ。浮き世を離れて山ごもりは……」
「そのうち戻るんでしょ」
「それが、面倒になりましてね。精神を鍛え直したので、もう社会に出ても大丈夫だと思うのですがね。お金が続く限り、もう少しいますよ」
「結構な身分ですね」
「誰にでもできますよ。まあ、貯金は必要ですがね。茶店で食料を買うだけなので、それ程使わないですけどね」
「私なんて、山歩きの時だけですよ。日常から離れるのは」
「どうです。やってみませんか」
「いやいや、ホームレスはどうも……」
 山ごもり青年は口をきかなくなった。

   了


2008年12月16日

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