小説 川崎サイト

 

佐渡おけさ

川崎ゆきお


「ねえ君」
「はい」
「踊るんだけどね」
「はあっ?」
 舞は古田の言葉が分からない。
「だから、踊るんだよ」
「部長、からかっておられるんですか?」
「踊るんだよ…」
「三時から会議ですから」
「分かってる…会議は踊るだ」
 何かのタイトルらしいが舞には分からない。
「準備するものは、これでいいですね」
 古田はファイルに目を通す。
「三年前の書類が、一枚足りないな」
「探したのですが…」
「総務の岸和田君が知ってる。聞いて、取って来てくれないか」
「はい」
「踊っちゃいけないものが踊る。いや、元々は踊るものなのかも…」
 舞は無視し、総務へ向かった。
 
「踊るって?」
 総務の岸和田が無機的な顔で舞を見る。
「何のことだと思う?」
「踊るねえ…」
「理解できる?」
「分からん」
「…でしょ」
 舞は書類を受け取る。
 
「踊るのですか?」
「はい」
「それを、他の人に話しました?」
「少しは」
「話さないほうが、いいでしょう」
「どうせ信じて貰えないし…まあ独り言だよ」
「周囲が心配しますからね」
「僕も信じられんのです」
「私もですよ」
 クリニックの若い医者は明るく答える。
「ここで、よかったのかな?」
「その判断は正しいと思いますよ」
「人形が踊るのは、まずいでしょ?」
「おっしゃる通りです」
「そういう例はありますか?」
「とんでもないものを見られた人は沢山おられます」
「沢山ですか」
 古田は沢山、と言う言葉がおかしかったようだ。
「ガラスケースに入ってる人形が佐渡おけさですよ。信じられますか?」
 医者は黙って聞いている。
「一人は三味線を弾いてます。音も聞こえる。踊っているのは二人」
 古田は医者の顔を見る。
「続けてください」
「夜中です。カシャカシャ音がするんだ。最初は分からなかった。虫でも部屋に入り込んでいるんだと…。でも毎晩続くんで、電気をつけたんだ。すると人形が…」
「踊っているように見えたのですね」
「一人が三味線で囃し立て、二人が佐渡おけさを…」
 医者は「はい」と頷く。
「はい、とは、どういうことかな?」
「聞いていますから、続けてください…ということです」
「あらしゃ、あらしゃと、三味線の人形も…」
「はい」
「しばらく見ていましたが、眠くなってきて…」
「部屋は明るいのですか? あ、つまり、消灯しても、その人形ケースは見えるのですか」
「はあ?」
 古田は思い出している。
「暗くて見えないかも…」
「それが、見えたのですね」
「そうなりますか…」
「人形ケースはどこに?」
「整理タンスの上です。皿や土産物とかも並んでいます」
「動いたのは、その人形だけですか?」
「そうです」
「ご主人の物ですか?」
「家内の物です」
「奥さんも見られたのですか?」
「事情があって別居しております」
「人形が動き出したのはいつ頃からですか?」
「一週間ほど前から…」
「別居なされてから、どのくらい経ちます?」
「たまに立ちます」
「そうじゃなく、別居なされてからの年数です」
「二年ほどです」
「それと関係があると、思われたことは?」
「思いもよりません。無関係です」
「お子様は?」
「二人」
「まだ同居ですか?」
「はい。上の娘は社会人で、息子は大学です」
「人形のことを話しましたか?」
「話してません」
「では、見られたのは古川さんだけですね」
「はい」
「よく分かりました」
「どういうことなんでしょうね?」
「錯覚かと」
「でも、しっかりと…その、佐渡おけさを」
「佐渡おけさをご覧になられたことは?」
「家内と佐渡へ行ったおり、ホテルの宴会場で拝見しました」
「では、また来週来てください」
 医者はカルテに何やら書き込んだ。
「お薬、出しておきますね」
「はい、お願いします」
 
 古田は医者に話したことで、少し楽になった。
 
 会社の昼休み、地下通路にある喫茶店で舞はオムライスを食べていた。
「やあ」
 総務の岸和田が声をかける。
「いい?」
 昼時で喫茶店は混雑していた。
「どうぞ」
 岸和田はカツカレーを注文した。
「部長は、その後どう?」
「まだ、言ってるわ」
「佐渡おけさ?」
「そう」
「何だろうねえ」
「ストレスが溜まっているとは思えないの」
「見た目では、分からないんじゃない」
「岸和田君は?」
「俺も溜まるけど、発散してるさ」
「部長は温和で、怒ったところなんて見たことないし…」
「そのタイプほど溜め込んで、おかしくなるんじゃない」
 岸和田は話しながら、カツカレーを一気に食べてしまった。
「午後から忙しいんだ。お先に失礼」
 伝票をとって立ち上がる。
「ねえ、一度部長と飲みに行かない?」
「えっ?」
「話を聞いてみたいの」
「いいけど…」
「日が決まったら、メールしとくわ」
「了解」
 岸和田は、レジへ急いだ。
 
 繁華街の外れに、いつ取り壊してもおかしくないような古びた建物がある。その二階にあるスナックに古田はいた。
 気が滅入る時、たまに来ている。
 ママは相当な老婆で、店のオブジェとかわらない佇まいだ。
 いつもブルースが流れており、古田が学生時代に聞いた曲もあり、それが耳に心地よい。
 古田は、塩豆をかじりながら、飲んでいた。
「妙なものが憑いているようですなあ」
 いきなり、そんな声が聞こえた。
「邪魔なら、退散しますが…」
 死神のような老人だった。
「いえいえ」
 古田は受け入れた。
 死神は古田の横の椅子に腰掛けた。
「こういう場所に来る客は、大体そんな感じですよ。だから、わしの出番も多い」
「霊能者さんですか」
「まあ、そうです」
 死神は指を三本立てた。
 相談料のようだ。
 古田はやや間を空けた。桁を判断していたからだ。
 死神は指を二本にした。
 古田は札入れから万札二枚を渡した。
 死神は二本の指で、それを挟み、素早く懐に入れた。その動作が、どこか象の鼻に似ていた。
 古田は経緯を話す。
 死神は一切質問せず、聞いていた。
「何だと思います?」
「人形憑きだね」
「どうして、そんなものが?」
「デキモノとモノノケは所構わず…つまり、低い霊には深い事情はないのです」
「解決しますか」
「ゴミの日に出せば、それで終わる」
「でも、家内の物なので」
 死神は目を細めた。
「どういう霊なのか、知りたいんだけど」
「知っても意味はない」
「無駄だと?」
「そう」
「では、他に解決方法は?」
 死神は指を一本立てた。
 古田は、もう一万円支払った。
 死神は、縦長のショルダーバックから、紙を取り出した。
「護符です」
「はあ」
「市販されておりません」
「これを貼れと」
「それで抜けるはず」
「そんなものですか?」
「居心地が悪くなって、抜けます。駄目なら、また来なさい」
 古田は、かなり元気になった。
 
 古田は人形のガラスケースに護符を貼ったが
効果はなかった。

「その後いかがですか?」
 一週間が経過していた。
「まだ、佐渡おけさです」
「まあ、見えたり聞こえたりは仕方のないことです」
「やはり、僕は病んでるのかなあ」
「奥さんに戻って来て欲しいとか、考えます?」
「今は、別に…」
「じゃ、以前は?」
「体裁がありますから」
「本心はどうです?」
「さあ」
「考えたくないのかもしれませんねえ」
 古田は医者の顔を見た。三十を越えていないかもしれない。そんな若造に長年連れ添った夫婦の機敏など分かるとは思えない。
「寝室には奥さんの物がそのまま残っているのでしょ。佐渡での二人の思い出」
「まあ、そうですが」
「その人形が動くのは、奥さんに動いて欲しい…という願望では?」
「やはり、錯覚なんですか?」
「幻聴と幻覚」
「じゃあ、僕の頭の中だけで、踊っているのか」
「その後、このことを誰かに話しましたか」
 古田は護符の老人のことは黙っていた。
「よく、部下に冗談半分に…」
「真剣におけさ人形が踊りだすなんて話せば、狂ったと思われますからね」
「治るんでしょうか」
「治す必要はないと思いますよ。日常生活での支障は?」
「だから、そんなのが休んでいるとき、見えりゃ気になりますよ。支障だよ」
「それだけのことでしょ」
「まあ、見なけりゃいいんでしょうが…」
「奥さんと会ってはいかがです」
「ああ、そういうことですか」
「では、一週間後、また来てください」
「はい」
「お薬はお出ししません。落ち着いておられるようですから」
「落ち着いてなんていませんよ!」
 
「やはり、来たのう」
 死神は薄暗いカウンターの奥から声をかける。
 古田は吸い込まれるように、その横に座った。
 置物のような老婆は、グラスと塩豆の小皿を置く。あとは勝手にやってくれという感じだ。
「いつもいるのか?」
「最近はな」
「ここで商売か」
「あんたのような客しか、この店には来ない」
 死神は老婆を見る。老婆は無表情で反応はない。
「こういった店に占い師がいるのを見たことはあるが、護符売りは初めてだ」
「憑き物落としと呼んでくれ」
「爺さんこそ、お祓いを受けたほうがいい」
「効かなかったか?」
「ああ」
「じゃ、別の方法を考えよう」
「効かないことを分かっていたんじゃないのか」
「あんただって、信じて買ったわけではあるまい」
「半分信じた」
「藁だよ」
「藁人形?」
 老人は、古田の水割りを作った。
「藁にもすがるの藁だよ」
「そういう意味か」
 古田はグラスをなめた。
「人形には憑依しやすい」
「だけど、落ちなかったじゃないか」
「もっと下等な奴だったからだ」
「どんな奴だ?」
「文字が読めない連中だ」
「僕もあの呪文は読めなかったが…」
「サンスクリット文字だ」
「じゃあ、読める人など殆どいないだろ」
「護符だと分かる。それで十分だ」
「葬式に行ったことはあるか?」
「ああ、何度も」
「あのお経が分かるか?」
「興味がないので、分からん」
「だが、お経だとは分かるだろ」
「当たり前だ」
「坊主がそれなりの格好で読めば、それはお経じゃよ。死者は、その状況が分かる。自分は死んだことが分かる。あんたの見た人形に入っている奴は、その文化を知らん」
「だから、下等なのか」
「そうだ」
「それで、効かなかったのか」
「だから、安心していい」
「なぜだ」
「わしの塩豆を食え」
「え?」
「歯がないんで噛めんし、塩分がきつすぎて血圧に悪い」
「そういうことか」
 古田は塩豆をかじる。
「下等な奴だから、それ以上の害はない。深刻な問題ではない。それが分かっただけでも目出度いではないか」
「だが、解決したとは思えないんだが」
「それ以上を望むな」
「気味が悪い」
「そういうものだ。世の中は」
 死神は、もう一杯水割りを作り出した。
「もういい」
 死神は氷を自分のグラスに入れた。
「下等霊の悪戯だ。反応すると調子づく。無視すれば、抜けて行く」
 
 特別な店ではない。ありふれた居酒屋が並んでいる通りがある。その一軒に舞を先頭に岸和田と古川が入った。
 部下が上司の精神状態を心配しての一席だ。 古川は、これまでの経緯を話した。
 舞の目は輝いていた。
「不思議ですねえ、部長」
「あるんだなあ。こんなことが…。僕もびっくりだよ」
「その割りには、落ち着いていますね」岸和田が口を挟む。
 二人とも同期で、入社後の研修で古田の世話になっていた。
「どんな踊りなんですか?」舞が聞く。
「佐渡おけさかな。一度見たことはあるから、おそらくそうだろう。それに佐渡おけさの人形だし」
 岸和田は、何か言おうとしていたが、途中でやめた。古川は、それを見逃さないで、言ってくれとばかり顔で促した。
「同じものをじっと見ていると、動き出すことがあるんです。目が呼吸している感じで、多少は揺らぐものかと…。まあ、同じものをじっと見ていると、誰でも変になりますよ」
「そういうことがあるかもな」
「土産物の人形って、関節とかは曲がらないでしょ。だから、踊らないと思うんです。それに三味線も、安っぽい糸でしょ、それじゃ三味線の音にはならないと思いますよ。それに人形の足も台にくっついているわけでしょ。同じ立ち位置では、踊れないと思いますね」
 確かにそうだ…とばかりに古川は頷く。
「舞ちゃんはどう思う」岸和田は舞に振る。
「そうねえ…。岸和田君の説は合理的だと思うけど、部長は踊っているのを見たんだし、三味線も聞こえたんだから、その説明はどうするの」
「いや、まだ、結論の段階じゃなく、事実を述べてるんだよ」
「部長、人形は移動しました?」舞が聞く。
 古川は、サバ煮の小骨を抜いていた。
「そこまでは見てないけどね。移動はしなかった」
「関節は?」今度は岸和田が聞く。
「腕を上げたり下ろしたりしているように見えたが…」
 舞が次の質問をする。
「では、部長が見ていない時でも踊っているとお考えですか」
「踊っているのに気づいたから見たんだ。だから、僕がいない時でも踊っている可能性はある」
「一度見たいわ」舞が言い出す。
「そうですねえ」岸和田も同調する。
「じゃ、見に来るか」
「金曜の夜からなら、行けますよ」と岸和田。
「あたしも、週末なら行けます」
「イベントじゃないだからね」部長は、抜いたはずの小骨が口の中にあるのか、舌でまさぐった。

 人形はその後も踊り続けた。
「奥さんとお会いしましたか?」
「いえ…」
「その選択は、古田さんの気持ちにお任せします」
「気持ちに任せるとは?」
「会いたくなければ、それでも結構です」
「会った方がいいのだね」
「原因はそこにあるかも知れません」
「会っても、戻っては来ない」
「でも、古田さんは戻って来て欲しい」
「いや、もう、慣れました。それに、この状態のほうがお互いの為に良いのかとも」
「でも、本音は戻って来て欲しい?」
「戻って来れば、佐渡おけさは鎮まりますか?」
「おそらく」
 古田は、しばらく黙ってしまった。
「やはり、幻覚なのですか?」
「物理的に、考えられないでしょ」
「確かにそうだが…」
「これは心の病なんです。人形が問題なのではありません」
「しかし、僕は…」
「本音、本心は昼間は押さえ込めます。でも夜は別です」
「本音ねえ」
「本当の気持ちです」
「押さえ込んでるつもりはないが…」
「気づいていないだけです」
「戻って来てくれれば、いいとは思うが、また同じことになる」
「同じこと?」
「出て行った原因はそのままだからね」
「その原因をなくせませんか?」
「何が原因なのか分からない」
 若い医者は、言葉に詰まった。
 
 週末、金曜の夜。舞は郊外の駅前にあるファーストフード店にいた。既に閉店時間前の遅い時間だ。
「来れないって?」
「悪いなあ。会社から帰って来たら爺さんが倒れて救急車で運ばれたらしいんだ。そのまま入院で、荷物とかを車で…」
「そうなんだ。大変ね」
「悪いけど」
「いいよ、こっちは」
「すきを見て、そっちへ向かうから」
「無理しないでね」
 舞は携帯を閉じた。
 店に入った古田は、すぐに舞を見つけた。
 
「岸和田は?」
「お爺さん倒れたんだって」
「それはいけないなあ」運転しながら古田が言う。
「悪いねえ、こんな時間に。佐渡おけさは零時を回らないと踊ってくれないだよ」
「朝まで見張るつもりですから」
「お願いするよ。君にも、あれが見えたら、僕の幻覚じゃないことが証明される。それを期待している」
「はい」
 
 似たような一戸建て住宅が並んでいる。どの家も敷地が狭いためか、三階建てで、一階はガレージだ。三階の屋根に採光窓があり、屋根部屋を含めれば四階建てとなる。<BR>
 古田の家は、比較的広く。シンプルな二階建てで、庭をガレージに当てていた。
 古田は玄関ドアを開け、舞を入れる。
 舞は古田のあとに従う。
 古田はリビングの奥にあるドアを開ける。
 舞は古田部長の寝室に入った。
 ベッドが二つ並んでいる。夫婦の寝室だ。
 壁には洋服ダンスや化粧台、本箱やテレビが並んでいる。背の低い整理ダンスの上におけさ人形のケースがある。
 舞はすぐにそれを見つけ、中を覗き込んだ。
 その横に鮭をくわえた熊がいる。
「それは、僕が北海道へ行った時の土産だ」
「了解しました」
 その横に大きな皿が立て掛けられている。
「それは家内が結婚祝いでもらった九谷焼」
 舞の実家にも、似たような物がある。下手に捨てられないと母がこぼしていた」
 舞は大きなカーテンを開けると、自分の顔が映っている。ガラス戸だ。
「庭に出られるよ。いつも閉め切ったままだけど」
 古田はロックを確認する。
 舞は化粧台にドーナツの袋とペットボトルを置く。
「部長はいつも何時にお休みになります?」
「一時前後かな。もっと早い時もあるし、遅い時もある」
 ベッドの横に本や雑誌や、新聞が無造作に積まれている。ちょっとした書斎だ。
 舞は携帯を見る。十二時前だ。
「まだ、早いですか?」
「早く休むこともある」
「じゃ、いつものように横になってください。見張ってますから」
 舞はリビングで、古田が着替えるのを待った。
 するとドアが開き、古田が顔を出した。まだ着替えていない。
「僕も徹夜するので、このままでいい」
「そうですか」
「パパ?」
 突然の声に舞は驚いて振り返る。
「どういうこと?」
「会社の足立さんだ。手伝ってもらっている」
「どうしたの?」
 息子の竜史も出て来た。
「あのう…。部長」
「子供たちには話していない」
「何も聞いていないわ」
「俺もだよ」
 舞の瞬きが早くなる。困惑したときの癖だ。
「いいから君は寝室に入って、待っていてくれ。すまない」
「部長、段取りが悪いようですが…」
「すまない。岸和田が来てくれるはずだったんで…」
「はい。じゃ、寝室で」
 舞は寝室に入る。ドアは開けたままだ。
「お母さんの寝室にどうして知らない女、入れるの?」
「知ってる人だ」
「俺は知らないよ」
「説明してよ」
「おまえたち、いつも口を利かないくせに、今夜はどうしたんだ」
「だって…」
「そうだよ、なに勝手なことしてるんだよ」
「だから、佐渡おけさなんだ」
 恵美は公務員、竜史は大学生。二人とも、よく聞き取れなかったようだ。
「今、なんて言ったの?」
「佐渡おけさだ」
 古田にしてみれば、思い切って言ってしまった感じだ。すぐに後悔した。
 舞は携帯で岸和田を呼び出した。
「落ち着いたみたいだから、そのまま寄るよ」
 舞は部長宅を説明した。
「カーナビで、大体分かるから大丈夫だよ」
「部長」舞は携帯を部長に渡した。
「住所を」
「ああ」
 古田は番地を伝え、携帯を舞に戻し、二人の子供を見た。
「取り込み中だ。後で説明するが、聞く気はあるか」
 恵美と竜史は二階へ上がってゆく。
「ふー」
 と、古田は溜め息。
「じゃ、監視しましょう」
「お願いする」
 
 古田はベッドからテレビを見ている。
 舞は化粧台の椅子に座り、人形を見ている。
「実験していいですか? 岸和田君が試してみたいからって…」
「何かな?」
「明かりを全部消してください」
 古田はリモコンで、テレビや天井の蛍光灯を消した。
「これでいいか」
「はい」
 舞はベッドの間に座る。すぐ横に古田の顔がある。
 舞はその位置から人形を見た。
 暗くて人形ケースの四角い輪郭が分かる程度で中の人形までは見えない。
「部長も人形を見てください」
「うむ」
「見えないでしょ?」
「見えないが、そこにあるのは分かる」
「でも、踊ってても分からないでしょ」
「音がすると見え出す」
「はい了解です」
「昨日は、二時ごろ始まった」
「毎晩ですか?」
「そうだ」
「時間は?」
「ばらばらだ」
「眠ってて、音で気がづくんですね?」
「スタンドをつけると、踊っていることもある」
 古田は枕元のアームスタンドをつけた。人形ははっきりと見えるが、静止している。
「踊っているときは、必ず音がするんですか?」
「そうだ」
「じゃ、音がするまで待ってます」
 舞は化粧台に戻り、携帯でゲームを始めた。
 
 深夜の三時。それは起動した。
 舞は最初、ゲーム音かと思ったが、音質が違う。ペンペンペンと何かが弾ける音。よく聞くとテンポとリズムがある。舞はその曲が佐渡おけさだとは分からない。知らないからだ。
 音のボリュームが上がる。
 舞は携帯のゲームを切った。
「始まった」古田も音に気づいたのか、目を開けている。
「聞こえます…確かに」
「そうだろ」
 音のボリュームが上がるに従い、人形が見え始めた。どこにも照明はない。
 暗い室内のそこだけが明るい。間接光ではなく、人形から光が出ている感じだ。
「部長、これは…」
「だからおけさ人形が踊ると言ったんだ」
「幻覚でしょうか?」
「君にも見えるのだろ?」
「はい」
「これで、僕の幻覚じゃないことが証明された」
 人形は踊るというよりも、お人形さんごっこで、子供が手で動かしているような感じなのだ。関節は動いていないが、着物の裾や被っている笠が微妙に揺れている。
「何なのこれ!」
「これだけだ。ただ踊っているだけで、それ以上のことは起こらない」
 舞は近くに寄る。
 人形は頓着なく踊っている。
 舞は人形ケースの乗っている整理ダンスを見る。
「開けますよ」
「えっ、何をかね」
「引き出しを」
「ああ、かまわんが」
 舞は一番上の段の引き出しを開ける。
 暗くて見えない。
「電気を」
「ああ」
 古田は天井の蛍光灯をつけた。
 舞は引き出しの中を見る。
 アルバムや石鹸箱や化粧瓶などが詰め込められている。
「その家具は家内が使っていた」
 舞は引き出しをゴッソリと抜いた。
 そして天板の裏を見る。
 仕掛けはなかった。
 人形を見る。至近距離だ。人形と目が合い、ドキリとなるが、書かれた顔の表情は固定されていた。
 なぜ動いているのか、舞は苛立った。
「そんなに近付くと危ないかもしれんぞ」
 古田はカッターナイフを手に持ち、舞の横に来た。
「部長、それ危ないです」
「ああ」
 人形は二十センチほどある。
「君、怖くないのか」
「怖いに決まってます。でも怖いよりも、ニクニクしいです」
 舞は、ガラスケースを持ち上げた。ケースだけが取れた。
 そこに人形がいる。
 古田はケースを受け取った。
「どうするんだ」
 人形はマイペースで踊っている。いや振動していると言ったほうがよい。
 ペンペンと三味線を鳴らし、ありゃさありゃさと囃し立てる人形を、舞はぐいと掴んだ。
「あっ」古田は思わず声を出す。
 舞はそのまま引き抜いた。それを左手に持ち、踊っている人形を右手で握り、ぐいと持ち上げた。
 左手で人形二本を握り、右手で残っている一本を抜き取る。
 三味線の音は聞こえなくなるが、舞の手の中でもそもそ動いている。それはもう踊りではない。
「そんなことして大丈夫か! 足立君」
「部長、ガラス戸開けてください。捨てます」
「ああ」
 古田はカーテンとガラス戸を一気に開ける。
 狭い庭がある。
 舞は庭へ素足で飛び降り、人形三本を地面にたたきつける。強く握り締めたためか、腰や首が曲がっている。それでも動いていた。
「こいつー」
 舞は縁側にあったサンダルをはき、人形を踏みつけた。しかし、まだ動いている。
「そんなことをして大丈夫かね」
「部長、見張っていてください」
 舞は部屋に戻る。
 竜史も騒ぎに気づき、起きて来た。
「部長! 油、ありませんかー」
「竜史、何かないか」
 恵美も二階から、下りて来た。
「錆止めスプレーがあったでしょ、竜ちゃん」
 竜史は物置からスプレーを持って来た。
 舞は受け取り、錆止めスプレーを噴射させた。
「部長、新聞紙を丸めて、火をつけてください」
 舞は、火のついた新聞紙を魔術のファイヤーボールのように人形に投げた。
 油まみれの人形は一気に燃え出した。木と布だけでできているので、よく燃えた。
「あ」
 炎の色とは異なる青い固まりが、スーと立ちのぼった。ゆっくりとした打ち上げ花火のように…。
「パパ、これって…」
「親父、何だよ今のは…」
「佐渡おけさが消えた」古田がつぶやいた。
 
 翌日の昼休み、舞はいつもの喫茶店で、岸和田に昨夜のことを話した。
 岸和田は祖父の様態が悪いので、抜け出せなかった。舞も岸和田も徹夜で出勤している。
「部長は…」
「お休みみたい」
「見たかったなあ、その人形」
「苛立たせるから、つぶして燃やしちゃった」
「怖いなあ」
「怖い人形だったわ」
「いや、舞ちゃんも相当怖い」
「その後、部長、夜中、おけさ人形の扮装で踊っていたら怖いだろうね」
 舞はその姿を想像した。
 
   了

 

2006年03月13日

小説 川崎サイト