小説 川崎サイト

 

一寸法師

川崎ゆきお



 最初に断っておくべきだろう。つまり、世の中にはとんでもないことがあると…
 あれは本当にあったことなのだが、現実に起きた事だとは今でも半信半疑だ。
 それは想像では存在するかもしれないが、現実ではありえない部類に入る。
 その部類を私は体験した。これは事実なのだが、私の中だけでの事実だと指摘されればそれまでだ。結論として私が狂っていたことになる。
 それを体験した時、ショックで狂いそうだったのは事実だとしても、今は平穏に暮らしており、社会生活も無事営んでいる。
 今も、あの松阪町を通れば、それを見ることができるはずだが、私は二度とそこを通らないことにしている。あのことはそっとしておきたいからだ。
 松坂町へ迷い込んだのは、私の不眠症と関係がある。もし、そうでなければ、あんな場所には行かなかったに違いない。
 その夜もなかなか寝付けなかった。一度うっとりなり、このままいけるかと意識したのがいけなかったのか、あっという間に引き戻された。失いかけていた意識がさっと戻った感じである。一度でも眠りの門を潜ると、再び潜るのは大変で、それは何度も経験していることで、この場合は一度起きるしかない。
 そして眠くなるような本でも読みながら、眠りのお迎えを待つのだ。
 その夜は、その手でもお迎えは来なかった。この場合は眠るためのトリックは一切効かない。だから、もう寝ようとは思わずに着替えた。
 そして私は自転車で夜の町に出た。近所を一周して帰って来るころには、さすがにしんどくなり、そのまま横になれば、眠ってしまえることが多いからだ。
 マンションの前に通りがある。どちらに向かうかにより、コースが決まる。その夜は西へ向かった。
 走りだすと、いつものコースなので、どこで曲がるかは自然に決まってしまう。車の少ない裏道をひたすら走り抜けるのだ。
 数分で、もう私の住んでいる町内を抜ける。転勤でこの市へ来てから五年になる。市の中心部からかなり離れているが、前任者とバトンタッチする感じで、ここに住んでしまった。特に気に入った場所でもないが、どうせ寝に帰るだけの場所だ。ところが、引っ越してから不眠症になった。
 こうして、見知らぬ町を自転車で走るとは思いもよらないことだった。
 この行為は、とんでもない現実ではない。あってもおかしくなく、説明すれば、分かってもらえる。
 とんでもないことは、この先の松阪町で起こったのだ。
 
 その夜はいつもの巡回路を走っていたのだが、ふと、違う道へ入り込みたい気持ちに駆られた。これは積極的な感情で、普段そのようなことは起きにくい。なぜなら、いつものコースなら何も考えないで走れるからだ。見慣れた街灯や信号。ネオン看板だけが灯っている店。入ったことのないクリニック。そしてまだ営業しているコンビニやファミレス。それらはいつもの眺めであり、安定した風景が続いている。
 ところが、積極的な気持ちが起きた。少し別の道を通り抜けてみたい…と。
 今、考えると、それは誘導されたのかもしれない。引っ張り込まれたのだ。
 その枝道はよく知っていた。だが、枝道があることを知っているだけで、入り込もうとは思わなかったのは、必要がなかったからだ。
 ふと気が付けば、自転車は左に軽く傾き、すーと曲がり込んでいた。これは意欲的でなければできない動作だ。曲がるのは面倒なのだ。曲がる必要がないのに曲がることは稀だ。
 必要性があるとすれば、いつもとは違った場所を走り抜けたいという気分だ。その気分が積極的に自転車を傾けさせたのだ。
 深夜の自転車散歩は、できるだけ賑やかで明るい道を走っていた。その枝道は一方通行の狭い道で街灯も少なかった。ありふれた住宅地が続いている。
 松坂町はその奥にあった。急に道幅が広くなり、左右に屋敷が並んでいた。
 私は高級住宅地松坂町へ入り込んだ感じだった。
 安っぽい建て売り住宅地ではなく、戦前からあるような屋敷町だった。
 こちらの方面に興味がなかったのは、立ち寄るような場所がないからだ。
 そこが松坂町だとはあとで分かったことだが、その時は雰囲気の違う場所に来た程度だった。その入り口に松の木が植えられていた。さっきまで一方通行の狭い道だったのだが、そこからはゆったりとした二車線で、松の木は屋敷の塀と道路の間にポツリポツリと植えられている。ちょっとした松並木なのだ。取って付けられたような歩道ではなく、車道と歩道は松並木で区切られていた。そのため、歩道を含めた道幅は都大路のように広い。
 不法駐車は一台もなく、道は一直線に伸びている。自転車で走るにはもってこいの場所で、なぜもっと早く見つけなかったのかと悔やむほどだ。ただ、夜はかなり暗い町だ。
 そして信じられないものを見たのは、その道を少し入り込んだ場所だった。
 車がいないので私は車道を走っていた。真ん中を走るのは爽快だった。
 後ろからの足音に気づき、私は振り返ろうとしたが、自転車では体をひねるのが難しい。止まるのも面倒なので首だけ回して横を見た。
 ランニング中の人がいるのはおかしくないが、何もこんな夜中に走ることはないだろうと思う。そういう私だって不自然な時間帯に走っているのだが…。
 しかし、横を通り過ぎたのは大型犬だった。それだけでも驚くのだが、その後ろを背の低い人が走っていた。暗くてそれ以上分からなかったが、犬に引っ張られるように、飼い主も走っているようだ。
 それはあっと言う間に前方に消えた。犬も早いが飼い主も早い。
 私はそのまま自転車を進めた。
 しばらくすると前方から、またあの犬がやって来た。引き返して来たのだろうか。
 今度は路肩に自転車を寄せた。動くものを見ると、犬が向かって来るかもしれないと恐れたからだ。
 今度は通り過ぎる犬と飼い主を見ることができた。ちょうど街灯の真下を走り抜けて行ったからだ。
 背の低い人は老婆で、腰が完全に曲がっていた。
 腰が曲がっていても、あれほどのスピードが出せるのは、犬が引っ張っているためだろうか。いや、いくら強く引っ張ったとしても、老婆があれほどのスピードで走れるわけがない。
 私はそれ以上の想像をやめた。何かの見間違いなのだ。
 私は再びペダルを踏み、先へ進んだ。この町の新鮮さにひかれてのことだった。
 今度は歩道を歩くお婆さんがいる。確かにお婆さんが夜中に歩いてはいけないという法律はないし、物理的にも可能だ。
 私はお婆さんを追い抜いた。
 すると反対側の歩道を行くお爺さんがいた。
 何だろう、ここは…と、思わないほうがおかしい。
 私は不眠症に悩まされた夜は、このような自転車散歩をやっている。週に数回だ。一晩で老人を三人見ることはない。いや、一人とて見た記憶はない。それが三人だ。これはおかしいと言っても過言ではない数字だ。
 お爺さんは私のことなど気にしないで、歩いて行った。この夜中、どんな用事があるというのだ。
 この道は松坂町の真ん中を突っ切っているようだ。何度か十字路に出るが、この道ほどには広くはない。
 遠くに水銀灯が並び、車が通っているのが見える。土手があるようだ。川があるとすれば宮川だろう。と、いうことは、この道は土手で行き止まりとなる。きっと土手の道へ上る車道がないのかもしれない。そのため車もこの道を通り抜けられないので、入り込まないのだ。
 夜中、走っている時、いくらひっそりとした時間帯でも車は通っている。それは私が走っているいつものコースは、通り抜けられるためだろう。
 この松坂町のメイン道路は、抜けられないからこそ、静かなのだ。もしかすると私道かもしれない。
 土手と入って来た場所とを計算すると、半分ほど進んだことになる。交差する道はあるが信号はない。
 とりあえず、土手を目標に、進んだ。
 すると、また後ろから足音が聞こえる。振り返るまでもなく、腰の曲がった老婆が大型犬と同じスピードで追い抜いて行った。
 やはり、これはおかしい。
 これは、物理的には不可能ではないにしても、原理が分からない。犬が全速で走るのを、力の強い人間でも引っ張り返すことは難しいだろう。仕方なく、犬と同じスピードで走ったとしても、今度は足の回転がついてこれなくなり、倒れるか、その前に紐を離すだろう。
 老婆と犬はあっと言う間に小さくなり、見えなくなった。
 この道を何度も往復しているのだ。そんな犬の散歩はありえない。もし、犬だけを放せば、最初はあんなスピードで走るかもしれないが、走りっぱなしはありえない。
 だから、老婆が犬に引っ張られているのではなく、老婆が犬を走らせているのだ。
 私は本来なら今頃眠っている時間だ。起きていてはいけない時間帯に外に出ているのだ、そのため冷静な判断とかが面倒になり、何かの事情で、そういうことが起こっているのだと、考えることにした。
 次の四つ角に進入した時、枝道の右側に暖かい明かりがある。蛍光灯の白っぽい明かりではなく、屋台の明かりに似ている。だが、こんな静かな屋敷町に屋台や飲み屋がこの時間まで開いているとは思えない。
 いつもの散歩コースならラーメン屋は遅くまでやっているが、ここではそれは考えにくい。
 何だろうかと疑問に思い、私は右折した。
 近くに見えていたのだが、意外と遠い。夜の明かりは近くに見えるためだろう。
 かなり近づくと、提灯だと分かる。それも二つ。
 さらに近づいたところで、ブレーキをかけた。何であるのかが分かったからだ。
 誰かが亡くなったのか、通夜のようだ。それ以上確認する必要はないと思い、引き返した。
 そういえば、年寄りが歩いていたのは、通夜に関係があるのかもしれない。
 再び、大通りに戻り、土手を目指した。土手の道の水銀灯や車の明かりが妙に安心感を与えてくれる。
 そして、決定的なものを私は見ることになる。
 それは一寸法師だった。正確には十寸法師だ。三十センチほどの背丈の少年武士が歩いて来たのだ。私は思わずぶつけそうになり、ハンドルを切った。一寸法師も慌てたのか、右へ避け左に避け、再び右へ飛んで、すれ違った。
 ありえないことだった。
 これだけは、さすがの私も驚いた。見間違えたとかの問題ではない。誤認したとかでもない。距離感を間違えたのでもない。
 例えば、急に坂になっていたとすれば、大人でも背が低く見える。それなら、自転車が反応し、スピードが上がるだろう。しかも、すれ違ったのだ。
 犬が侍の着物を着て走っていたのではないか程度のことしか思いつかないが、顔は少年で、昔の絵本で見たお椀の船に乗ったあの小癪な少年なのだ。
 私は思い切って振り返った。夜道は闇の中に溶け込んでいるが、街灯でうっすらと地面が見える場所がある。
 そして薄暗いスポットライトの中を忙しげに歩き去る少年武士を確認した。
 私はそこで諦めることにした。世の中には、こういうことがあるとは思えないが、私が知らない世の中があるのかもしれない。つまり、世の中がどうなっているのかを全部知っている人などいないのだ。私が暮らしている世の中は、確かに範囲がある。ぴんからきりまである。その範囲を超えたレベルは伺い知ることはできない。あるともないとも言えない。
 一寸法師が目の前を通過したとしても、急には人生観や世界観を変えるわけにはいかない。だが驚く。それだけだ。
 しかし、私はその時、会社へ行かなくてもいい…と考えた。二三日休んでもかまわないと思った。それは、私の精神状態がおかしくなったからではなく、一寸法師や高速で走る老婆を見てしまったのだから、これはもう、会社どころの騒ぎではないのだ。
 残念ながら、それを目撃したのは私一人であり、世間は知らない。だから、騒ぎにもならない。それが残念でたまらなかった。
 さて、私はどうすればよい、あんな物を見た後、帰って眠れるはずがない。かなり目が冴え渡っている。一週間ほど起きていても大丈夫なほど、寝付けないだろう。
 私は一寸法師を追うつもりはないが、あの通夜の提灯が気になった。あそこへ行けば何かが分かるのではないかと思ったのだ。
 自転車をUターンさせ、少し走るとあの四つ角に出た。左側に明かりが見える。先程と同じだ。
 私は暗い場所を選んで提灯に近づいた。
 門は開いているが、誰も立っていない。中を覗く暇もなく通過した。
 そして二度往復し、中の様子を確認したが、人の姿はない。母屋の玄関は開いており、電気もついており、明るい。
 私は邪魔にならないように自転車を数軒先の生け垣の横に寝かせ、ゆっくり歩いてその門を潜った。母屋までは石畳で、左右には低い饅頭のような植木。きっとよく手入れされているのだろう。木造二階建ての大きな家だ。私など、いくら働いてもこんな屋敷には住めない。もうそれだけでも別世界なのだ。
 玄関の中は広い土間があり、履物が並んでいる。通夜の客が来ているのだ。
 旅館か料亭に比べると、それほど豪華で広くはないが、個人の家としては贅沢な空間だ。私ならこの土間に自転車を数台並べるところだ。
 私はそっと靴を脱ぎ、廊下に上がった。スリッパが並んでいたが、履かないことにした。
 廊下は三方に伸びていた。私は直進した。ガラス障子や襖は開けられており、どの部屋にも人がいた。
 私を見ている年寄りや子供もいるが、それ以上の反応はない。大きなお膳を囲み、家族向け居酒屋のように飲み食いしている。
 あの提灯に居酒屋の名前が書いてあってもおかしくないような光景だ。
 廊下で突っ立っていると、案内係のようなおばさんが声をかけてきた。お参り御苦労様と聞こえた。そして、案内されたのは奥の仏間だった。
 襖が取り払われ、大広間のように広く見えた。奥に大きな仏壇があり、その近くに殿様が使うような派手な掛け布団。その胸元に短刀が乗っている。白い布で顔は分からないが、男性だろう。
 部屋の隅に座っている上品な婦人が、どうぞ見てやってくださいと声をかけてくれた。
 私は正座し、白い布を少し持ち上げる。記憶にない老人だ。当然だろう。見知らぬ町の見知らぬ家に上がり込んでいるのだ。
 私は焼香し終えると、さっきの案内係が、こちらへと促したので、ついて行く。
 長い廊下をしばらく歩く。個人の家で、これだけの長い廊下はないだろう。
 案内された部屋には先客が二人いた。中年の夫婦らしい。小さなお膳と座布団が何組かある。案内係はその夫婦の横の席を指定した。
 膳には簡単な惣菜とグラスと杯。
 私は夫婦に軽く会釈し、座布団の上で正座した。
 しばらくするとビールと日本酒が運ばれてきた。若い男だった。
 一寸法師も不気味だが、この待遇も不気味だった。しかし、関係者と勘違いされているのだと思えば、怖さはなかった。
 中年夫婦の会話を聞いていると、故人の連れ合いはショックで寝込んでおり、挨拶に来れないとか…。
 しばらくすると、寿司が出た。赤出しがついていたので、それだけを口に入れた。腹はすいているが、食欲はなかったし、酒類は呑まないので、お茶がほしいところだった。
 座敷の隅に、魔法瓶と湯飲みがあるのを見つけた。
 お茶を湯飲みに入れていると、真っ白な髭を長く延ばした老人が案内されて入って来た。そして私の横の席に座った。
 そして、白髭のビールと日本酒が来た。白髭はビールを私のグラスに注ごうとした。私はグラスを手にし、酌を受けた。
 私もビール瓶を手にし、白髭に向けると受けてくれた。
 私は思い切ってこれまでの事を語った。この家に入り込んだ目的でもある。
 犬と同じスピードで走る老婆は、毎晩出るらしい。夜中に歩いていた年寄りもよく見かけるとか。一寸法師に関しては知らないと答えた。
 一寸法師以外は、白髭にも見えたことで、少し安堵した。
 白髭は寿司をサカナに日本酒を飲み出した。配膳の手伝いに来ているらしい若い男に徳利を振って見せる。手伝いはすぐに補給した。
 私は自分の寿司桶を白髭に譲った。
 白髭は軽く合掌ポーズをとった。
 横の夫婦は食事が終わったのか、立ち上がりかけた。こういう席では故人の話をするものだが、親族が近くにいないためか、その話題はなかった。初めて来た家なので顔も名前も知らないのだ。話題になれば、悲しそうな顔で頷くしかない。
 部屋を出ようとした婦人が悲鳴を上げた。
 私は廊下を見た。
 一寸法師だった。
 あの一寸法師が屋敷内に入り込んだのだ。しかも日本刀を抜き、夫婦に斬りつけている。
 一寸法師はまだ立てない赤ん坊ほどの背丈だが、意外と長い太刀だ。
 夫婦はあっと言う間に脚を斬られ、倒れ込んだ。その上を太刀で突き刺している。
 白髭は徳利や皿を投げつけた。私はビール瓶を握り、ガツンと一寸法師の頭部を叩いた。
 ガクンと一寸法師は倒れた。
 白髭は夫婦の傷を見ている。
 救急車、と白髭が叫んだ。
 しかし、座敷に別の一寸法師が入り込んでいた。廊下を見ると、一寸法師走り回っている。一匹や二匹ではなかった。
 私はその時、これを昼間、会社で話しても信じてもらえるだろうかと考えるよりも、下手をするとやられると感じ、防戦することに集中した。
 座敷に入り込んだ一寸法師が素早いスピードで白髭に襲いかかった。白髭は何度も蹴飛ばして気絶させた。
 私は出血している夫婦を部屋の隅に運んだ。二人とも意識はある。
 屋敷内から悲鳴が上がっている。ドタバタと走る足音もする。
 廊下側の襖は閉めたが、隣の部屋のは閉めていない。白髭もそれに気づき、閉めようとする直前にガタンと一寸法師が挟まった。私は足の裏でそれを押し込んだ。襖は閉まったが、開けようとしているのが分かる。白髭は目で合図をした。私は意図を察した。
 白髭は一気に襖を開けた。
 飛び込んで来る二匹の一寸法師を二人で片付けた。ビール瓶が割れてしまった。
 隣の部屋には誰もいなかったが座布団が積み重ねられていた。
 私はその部屋に飛び込み、開いている廊下側の襖を閉めようとした。
 廊下や他の部屋も見えた。退治された一寸法師が数匹転がっていた。血まみれで倒れ込んでいる人や、取り囲まれている老婆もいる。
 私は彼らに見つからないように、惨劇を見学していた。
 元の部屋に戻ると白髭が夫婦の手当をしていた。傷は浅く、急所も外れているらしい。婦人は太っており、腹を突き刺されたのだが、脂肪で助かったようだが、錐で穴を開けられたように痛いと、ずっと呻き声を発し続けている。
 何が起こっているのかを聞くが、三人とも分からないらしい。
 傷ついたことよりも、一寸法師の存在にショックを感じているようだ。その意味で、私と同じ感情を有しており、正常な人々なのだ。
 一寸法師は赤ちゃんほどの身長だが、顔は小さい。少年を縮小したような感じで、どの顔もスタイルも同じだった。
 私は円盤が不時着し、乗っていた宇宙人を見るように、倒れ込んでいる一寸法師を調べた。既に死体だ。どう見ても人間だが、縮尺が違う。小人の国から来た一団としか思えない。
 白髭に、これは何かと聞いてみた。
 白髭も私と同じで、お伽話に出てくる一寸、つまり三センチほどの少年武士がお椀の船で都へ上り、鬼でも退治する程度の知識しかなかった。夫婦は、冥府から来た餓鬼ではないかと言った。
 どちらにしても、ありえない存在だが、じっとしていたのではやられてしまう。
 白髭に命じられ、屋敷の様子を見に行くことになった。遠くの方で、悲鳴や物音がまだ続いていたのだ。
 廊下には一寸法師の死骸が転がっていた。交通事故にあった猫のようだ。
 襖や障子が倒れており。ガラス戸の破片が廊下に飛び散っていた。
 部屋を覗くと、救急車を待っている怪我人が大勢いる。男たちはそれをガードするかのように取り囲んでいた。
 私は仏間へ向かった。襖は最初から取り払われているので、見晴らしがよい。一寸法師の死骸が集中している。
 これは推測だが、故人を襲撃したのではないだろうか。
 もう悲鳴は聞こえなくなったので、戦いは終わったのだろう。掛け布団が血に染まっている。
 やがて、救急車やパトカーのサイレンが近づいて来た。
 聞かれると困るので、私は抜け出すことにした。
 どの廊下が玄関に出る廊下なのかが分からなかったので何度も間違えながら、やっと母屋から抜け出した。門までの石畳の上に刀が落ちていた。その横に一寸法師が倒れている。
 私はその刀を拾った。
 
 ありえない話だとは私も百も承知している。だから、誰かに話す必要もない。
 マンションに戻り、そのまま昏睡状態のように眠り込んだ。寝る前、二三日休むことを決心していた。
 私が拾った刀は一寸法師の物ではなかった。大刀を縮小したような形ではなく、本物の短刀だった。故人の胸の上に乗っていたものだ。
 一寸法師はこれを奪いに討ち入ったのだろうか。
 まる一日眠っていたのか、起きると空白の一日ができていた。あれだけの惨劇だ。まだテレビでやっているはずだと思ったのだが、その後のニュースもない。
 朝方の事件だったので、昨日の夕刊を見るが、見当たらない。
 一寸法師の武装集団が屋敷を襲撃したなどという新聞記事もありえない。ありえないが、あったのだ。しかし、記事としては、表現を変えるだろう。かなりの負傷者が出ていたはずだ。
 だが、問題はそういうことではないのだろう。負傷者や死亡記事は問題は何もない。一寸法師がいけないのだ。それはありえないからだ。
 世間は信じなくても、当事者たちは信じているはずだ。それに私には証拠の品がある。この短刀だ。
 だが、一寸法師の太刀ではなかったのが残念でならない。
 それもよく考えると、精巧にできた縮小版だと判定されれば、それまでのことなのだが…。
 どちらにしても、この事を人に話すことは生涯ないだろう。あるとすれば、それに関わるようなことを聞かれた場合だが、一生、そんなことはないと思う。

 会社を木金と休み、土日は休みなので、十分回復した。明日から会社へ行く気でいるのだが、寝付けなかった。休んでいる時は、よく眠れたので、それを考えると不思議だ。
 会社へは連絡したのだが、そうですか、御大事にというだけで、あっさりしたものだ。後輩たちの時代になり、私が持っていたスキルは、もう古いものになっていた。後輩に教えるというよりも教えられることが多くなった。昔のように勉強熱心ではなくなったのは役職についてからだ。
 私は横になっていても仕方がないと思い、いつものように自転車で走ることにした。
 いつもなら、戻ってくれば眠れるのだ。このまま横になったまま朝を向かえるより、戻ってから数時間でも眠ったほうが楽なのだ。昼過ぎに睡魔に襲われるが、こっそり居眠りすればすむことだ。
 人というものは、好奇心の強い生き物らしい。一寸法師のことがやはり気になるのか、松坂町へ向かっている自分がいる。
 あれは、なんだったのか、そしてその後のあの屋敷はどうなったのかが気になるのだ。
 きっと他の場所を走っていたとしても、松坂町の事ばかりを気にしていることだろう。
 松坂町のメイン通りは、まだ存在していた。そう簡単に町が消えるわけではないが、先夜は何かの拍子で存在しない町が口を開けていたのではないかと考えたこともある。空間の亀裂にはまり込んだとすれば、あらぬこと、とんでもないことが起こっても少しも不思議ではない。
 だが、私が生きて来た五十年間で、そのような体験談を聞いたことはないし、当然私にも体験もない。それに近い体験さえない。ただ、小説や友人の冗談で、聞いたことはある。
 自転車を進めて行くと、やはり後ろから足音が聞こえる。案の定、大型犬と腰の曲がった老婆が高速で追い抜いた。
 この問題もあるが、犬にも人にも事情があるのだろう。下手に立ち入る必要はない。
 そして、また夜中に歩いている年寄りを見る。
 これは演劇かもしれない。先夜と同じ公演がまだ続いているのだろうか。そして、同じ芝居を見せられるのだろうか。
 通夜のあった通りを覗いた。提灯はついていない。すると同じ芝居ではないことになる。時間帯も似ているので、同じ出し物ではないようだ。
 犬と老婆は、毎晩出ると白髭が言っていた。出るという言い方は、化け物だということだ。犬の散歩をしている老婆を、出るとは言わないだろう。
 私は提灯がないのを確認したので、そのまま大通りを直進した。前方には土手が見え、車が走っているのが見えるのは、先夜と同じだ。
 少し進むと、Uターンして来た犬と老婆とすれ違ったが、そういうものだと思えば、驚きも少ない。犬も老婆も私を見ていない。
 土手で大通りは行き止まりになるが、階段がある。スロープもあり、自転車をついて上れそうだ。
 引き返そうとすると、向こうから自転車が来る。ランプが息をしているような感じで光っている。
 白髭だった。
 少し話をした。白髭も私と似たようなものだった。この町の人間ではなく、自転車で二十分もかかるところから来ているらしい。私と同じように自転車で走るのが好きなようだが、不眠症ではなく、昼夜逆転の生活をしているらしい。一人暮らしの老人だった。
 私も一人暮らしだが、転勤で島流しになっただけのことで、最悪でも定年になれば家族の住む町へ帰れる。
 土手下の行き止まり場所に自転車を止め、乗ったまま話し込んでいると、お婆さんが歩いて来た。ショルダーバックを襷掛けにしているのは撫で方のためだろうか。その後ろに人影がある。お爺さんだ。
 お婆さんは引き返した。
 その後ろをお爺さんが尾行しているような感じだが、お婆さんを心配して見守っているのだろうか。お婆さんが夜中に散歩するのは考えにくい。しかもきっちりとした外出着だ。
 それを見ていると、またあの大型犬が向かって来た。私と白髭の横を擦り抜け、土手の階段を駆け上った。もちろん腰の曲がった老婆と一緒に。
 あれはこの世のものではなさそうだ…と白髭が呟いた。そういうこの白髭そのものもこの世のものかどうかは疑わしい。
 通夜をやっていた屋敷には、私と同じように、提灯に引き付けられて入ったそうだ。
 あんな通夜はよくあるのかと聞くと、初めてだという。白髭は半年前から、ここに寄っているらしい。自転車の周遊コースに入っているようだ。
 白髭は、ここの空気には密度の差のようなものがあり、おかしな歪みが出ているため、気をつけた方がよい。できれば彼も含めて、この時間帯には来ないほうが好ましい…と語った。
 私は非常に参考になると言って別れた。
 白髭は階段横のスロープに自転車を乗せ、土手を上がって行った。それが白髭の散歩コースなのだろう。
 私はやはり、もう一度来てよかったと思った。白髭の説明で、なんとなく自分の体験したことが理解できたように思えたからだ。
 そして、大通りを松坂町の出口に向かって自転車を走らせた。
 だが、眠気が来たので、ここが引き時だった。
 あの大型犬と老婆は相変わらず大通りを何往復もしている。きっと同じ空間内のように見えても、別の空気の幕内での出来事なのかもしれない。確かめたわけではないが、ぶつかっても平気なような気がした。
 私はすっかり慣れてしまい、余裕をもって道沿いを眺めることができた。
 その勢いで、通夜のあった通りに入り込んだ。提灯はなく、門も閉まっていた。この中で起きた惨事は私や白髭が特殊な体験をしただけのことに過ぎないのだろう。妙な空気の切れ目に偶然はまり込んだのだ。
 そして、門の前から離れ、大通りとは反対側へ進んだ。つまり、この通りの端へ出るためだ。松坂町の出入り口は、あの大通り一カ所だけであるのが逆におかしいからで、隣接する町内とも繋がっていると思うからだ。
 その思惑は見事に裏切られた。行き止まりなのだ。あの土手のある宮川の支流なのか、川で遮られていた。橋は近くにはなく、向こう岸は田畑が残る新興住宅地だった。
 詳しく知りたいのなら、昼間に来ればよいのだが、こうして自転車でうろうろするのは不眠症の夜だけの話だ。夜だからこそ神秘的に見えるのであって、昼間ではこうはいかないだろう。
 私は本当に眠くなったので、急いであの屋敷前を通り過ぎようとした時、門の前に一寸法師が立っているのが見えた。
 今夜はもうこれ以上付き合いたくなかったので、それを無視し、大通りまで一気に走り抜けた。
 マンションに戻ると、気持ちがよいほど眠れた。やはり自転車散歩は効果がある。寝付けない時の特効薬なのだ。
 翌朝は元気に起き、出勤できた。

 それから週末まで、よく眠れた。そのため夜中に自転車で走ることもなく、松坂町のことは楽しみとして残しておいた。
 不気味で不可解な出来事なのだが、世の中には、そういったものがあっても悪くはない。
 しかし、不眠症は日曜に起こった。これは眠れないと感じるのはいつもの経験からで、最近は迷う事なく外に出ることにしていた。
 ドアを開けた時、そこに一寸法師が立っていた。私はすぐにドアを閉めた。
 ドアにはインターホンがあるだけで、覗き穴はない。まだ、そこに立っているのかどうかは確認できない。
 ドアを開け、やっつけてやろうかと思ったが、ここではやりたくない。
 私は、一寸法師が侵入できない程度にドアを開き、通路を観察した。
 一寸法師はいなかった。
 私はドアの前に出て通路を見た。誰もいなかった。
 錯覚だとは思えない。確かにドアの前にいたのだ。
 私は靴音を立てないで通路の突き当たりまで進んだ。そこに階段がある。
 やはり錯覚だったのかもしれない。
 階段を下り、自転車置き場へ出る。誰もいない。
 私は自転車に乗り、前の通りに出た。
 一寸法師は通りにいた。
 後ろを向いている。
 私はそこまで自転車で突っ込んだ。
 一寸法師はすぐに気づいたのか、すごいスピードで逃げた。
 私は短刀を思い出した。あれが目的なのだ。通夜の夜、短刀を持ち去ろうとした一寸法師は、門の手前で事切れていた。それを私が拾った。別に短刀に興味はない。落ちていたので、拾っただけだ。それなら一寸法師に返してやってもいい。
 この前、松坂町に行った時、門の前に一寸法師がいた。私はそのまま帰ったのだが、後を追いかけて来たのかもしれない。
 私は短刀を取りに戻り、そして松坂町へ向かった。
 短刀を一寸法師に返すためだ。実際には誰の所有物なのかは分からないのだが、玉砕覚悟で討ち入り、門の手前で事切れた一寸法師が持っていたのだから、彼らが奪い返したのではないかと考えたからだ。
 松坂町の大通りは相変わらずだった。いつものメンバーが徘徊していた。
 土手の手前で一寸法師が二匹現れた。少し離れた場所にも数匹いる。
 どれも同じ顔をしているので、見分けがつかない。
 前方の二匹が太刀を抜き、近づいて来た。後方の数匹は弓をかまえている。
 私は短刀を差し出した。二匹はそこで立ち止まり、何やら話している。
 私は短刀を二匹の前に投げた。一匹がすぐに拾い、もう一匹に渡した。それがボスかもしれない。ボスは短刀を確認しているようだ。
 そして、もう一匹に預け、太刀を収めて私に近づき、お辞儀をした。
 私もつられて、腰を曲げた。
 私が頭を上げると、もうどこにも一寸法師の姿はなかった。
 私は土手の下に自転車を止め、階段を途中まで上がり、そこで腰を下ろした。上まで上がると車の通行に邪魔だし、立ってられるほど広くはなかったからだ。
 そこから松坂町がよく見える。大通りはやはりメイン通りで、町の中心部を走っていた。
 大型犬と腰の曲がった老婆が駆け上がって来た。相変わらず私のことなど眼中にない。そして土手を上がり切る寸前で引き返した。その運動を綿々とやっているようだ。
 徘徊お婆さんと、それをそっと見守るお爺さんの姿も見える。この二人は、とんでもない存在ではないが、二人とも、もうこの世の人ではないのかもしれない。
 そして白髭が自転車を押しながら上って来た

 私は短刀の話をした。
 白髭は黙って聞いていた。特に問題はないようだったが、マンションにまで来ていたことを話すと、それは危ないところだったと感想を述べた。
 私は何とも言えない嬉しい気持ちになっていた。こういう感情は、遠い昔の子供時代にあったような気がするが、大人になってからは、反応しなくなった感情だった。
 白髭は、そのまま土手に上がり、車の流れに入って行った。白髭の自転車はスポーツタイプだったので、スピードが出るのだろう。
 私はこの体験を人に語ることはしない。不眠症で眠れないと言いながら、実は眠っており、こういった夢でも見ていたのだと言われそうだから…
 私は眠気が襲って来たので、静かに階段を下りた。
 
   了

2006年04月02日

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