小説 川崎サイト

 

居合いの極意

川崎ゆきお



 坂田惣三郎は下級武士の産まれで、その乳母は拝み屋だった。いわゆる祈祷師の婆さんだ。そのためか、妖しい雰囲気が惣三郎にはある。
 成人し、藩の天文方となる。今で言うお天気お兄さんだ。
 そのまま平穏に暮らせるはずだったのだが、大きなピンチに遭遇した。
 藩の政変に巻き込まれ、刃傷沙汰となった。
 惣三郎にとり、もっとも苦手な剣術シーンとなる。
 武士のたしなみとしての剣術を怠っていた。道場に形だけ通っているふりをしていただけで、入門の日以外は行っていない。
 そういう武士が多いことを道場主も心得ており、居合いの極意だけを伝授した。
 これは口伝にしか過ぎない。
 惣十郎がそれを思い出す瞬間がきた。
 天文方は家老派に属し、政敵は藩主の縁者である宿老派だ。
 惣三郎と次席家老は宿老派の商家の庭で襲われた。
 敵のまっただ中に乗り込んだようなものだが、まさか刀を抜くとは思っていなかった。
 抜いた刀を上段に構えた暗殺者は藩の人間ではなく、浪人だ。
 次席家老は老人過ぎた。供の惣三郎が守らないといけない。
「もはやこれまでじゃな」
 次席家老は観念したようだ。
 浪人の切っ先は惣十郎に向けられていた。老人はいつでもやれると思ったからだ。
 幸いしたのは、老人は惣三郎のことを知らなかったことだろうか。
 惣三郎は次席家老の前に立ち、腰を落とした。膝だけを曲げた姿勢だ。そして居合いの構えを取った。抜かないでじっとしているだけだ。
 上段に構えた浪人は刀を大きく引き、突きの姿勢を見せた。振り下ろすより突く方が早いからだ。当時、刀は撫で斬るよりも突くものだった。
 惣十郎は石のように固まった。
 剣術の心得がないため、何をどうすればいいのかが分からないため、動きが停止しているだけだ。
 幸いなのは、敵がすぐに突きにこなかったことだ。
 その猶予で惣三郎は道場主の口伝を思い出した。居合いの極意だ。
 その動きは、膝だけを使い、上体を上下させるものだ。敵から見ると水面で浮き沈みしているように見える。それをさらに続けると、動いているが惣三郎ではなく、背景がふわふわしているように見える。
 突きにとって、このぶれは気になるところだ。
 惣三郎はその動きをやめない。
 どれほど睨み合いが続いたのか、惣十郎には記憶がない。
「よくやった惣十郎」
 我に返ったのは、主席家老のその声だった。
 老人は逃げていった。
「よく我慢したな惣十郎」
「はい」
 その極意は、居合いではなく、居直りだった。
 
   了


2009年1月19日

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