小説 川崎サイト



学食

川崎ゆきお



 余命いくばくもないことを知った徳三郎は、あれを食べたいと思った。
 娘の徳子は、それをかなえてやろうと、あれを調べた。
 その、あれは特別な食べ物ではなかったが、果たして今でもやっているのかどうかは分からない。
 それは徳三郎が高校時代に食べた学食だった。
 徳子は高校を調べたが、三十年前に移転し、十年前になくなっていた。
「大学が残っとるかもしれん」
 徳三郎が通っていた頃、敷地内に大学があった。高校が先にあり、大学は後から出来た。その学食は高校と大学が共同で使っていた。
「大学を調べてくれ」
 徳子はネットで調べた。徳三郎の言う通り、体育大学が見つかった。
「此花体育大学ですね。お父さん」
「うん、そんな名前だった」
 徳三郎が食べたいというあれは、朝定食の一番安いメニューだった。大きなどんぶり飯の上に適当に切った橙色の自家製の沢庵。大きい目のお椀に入ったみそ汁には、豆腐の残骸が沈み、日によって量が異なる。
 徳三郎は珠算の早朝練習の日、それを食べるのを楽しみにしていた。
「あの沢庵をかじりながら食べるご飯が一番でな、あのみそ汁のつぶれた豆腐も、もう一度食べたい」
「でもお父さん、学食はあるだろうけど、メニューも変わっていると思うんだけど、それでもいい?」
「駄目だ。あれでないと」
 徳子は介護タクシーを呼び、徳三郎を乗せて大学へ行った。
 時間は早朝。部活で来ている学生相手に、学食は開いていた。
 車椅子のまま徳三郎は自分で食券を買う。
「朝定食が残っとる」
 受け取ったトレーには、徳三郎の言った通りの大きなどんぶり飯に橙色で不規則に切った沢庵と、つぶれた豆腐が沈んでいるみそ汁だった。
「これだよこれ!」
 徳三郎は満足げに食べ切った。
 実は行く前に徳子が電話で、その献立を作って欲しいと頼んでいたのだ。
 非常に高額な一番安い朝定食だった。
 
   了
 

 

 

          2006年04月26日
 

 

 

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