小説 川崎サイト

 

殻を破る話

川崎ゆきお



 島田は南京豆をむいている。
 前に上司がいる。
 ビジネス街の果てにある古くさい喫茶店だ。
「島田君。やはり自分の殻を破るべきだよ」
「そうですか」
 島田は内心ニヤリと笑う。決して唇を変化させずに、その分、小鼻が膨らんだ。
「営業はね、キャラなんだよ。君の場合、客を懐柔させるような雰囲気がない。分かるかね。殻だよ殻。その殻がごつごつ痛そうなので、客が入れない。殻を破るとは、その鎧を脱ぐことだ。すると先方も構えなくなる」
「そうですねえ」
 島田は南京豆の殻を指で押し、バリッと破る。亀裂が小さかったためか、中の豆が出てこない。指を突っ込み、取り出そうとする。
「何をやっておるのかね」
 ここで、何か言うと、駄洒落になる。殻の話をやっているときに、殻を破っているのだから、言葉の選択が必要だ。
「セールスは普通にやってます」
「そうじゃなく、その手元だ」
「ここ、コーヒー注文すると、豆が出てくるんですね」
「ソーダ水を頼んで出てくるよ。そういうことじゃない。人の話を聞くときは、余計なことをするな」
 島田は殻を破るのをやめる。
「どうだ、殻を破る気になったか」
 島田は迷った。南京豆の殻をまた破るべきだとは思わないが、自分の殻と南京豆の殻とが重なって吹き出したくなる。我慢すればするほど笑いがあふれ出る。
 島田は耐えた。
「殻は何のためにあると思うかね」
「自分を守るためです」
 島田は南京豆を見ながら、当然のようにその答えを導く。
「自分を守ってどうする」
「傷つかないようにするためです」
「それを恐れるな、ということなんだよ」
「そうですねえ」
 島田が、この言葉を使うときは否定していると言うことだ。一応肯定しているように、賛成しているようにみえるが、そうではない。なぜなら、この上役に逆らうことはできないからだ。これはフリーな議論ではなく、上役がおこなっている説教なのだ。そのため、否定することは、上下関係を崩すことになる。
「君は自分の何を守ろうとしているかね」
「ダメージです」
「何だ、それ」
「いやな気分になりたくないのです」
「君が、だろ」
「はい」
「客のことを考えなさい。君のことよりも」
「いつも考えていますよ」
「君は、客のことより、自分のことばかり考えている」
「そうですねえ」
「ダメージに慣れれば、殻をかぶる必要はない」
「鎧を着たままでもダメージは受けます。それを取れば死にます」
 しまったと、島田は思った。
「それだよ。そういう言葉が必要なんだよ」
「はあ」
「やっと反撃したじゃないか」
「すみません。反撃じゃありません。事実を伝えただけです」
「私に逆らったじゃないか。いつもの君なら、すべてイエスだ。そうだろ」
 島田は自分の精神世界に土足で入ってくる、この上司の態度に腹が立っただけのことだ。
「いい感じだよ。島田君。それで、一皮むけた。その感じで行きましょう」
 島田は、この変化について行けず、思わず殻に入ったままの南京豆を口に入れてしまった。
「どうした」
 島田は苦悩か、苦痛かどちらか分からないような目をむきだした。
「すみません。殻のまま飲み込んでしまいました」
 上役は妙な動物を見るように、島田を見ていたが、やがて視線を逸らせた。

   了

 


2009年3月20日

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