小説 川崎サイト

 

姥捨て山ホーム

川崎ゆきお



 姥捨て山老人ホームと、書かれた標識が茂みの中に立っている。よく見ないとわからない山道だ。
 ほかに名前の付けようもあっただろうに、わざわざ、こんな露骨だが、正直な名にする必要はないはずだ。
 植田は見学がてら、このホームを訪れた。区役所の薄暗い片隅で陣取っていた担当者から、そっと教えてもらった物件だ。
「いいところですよ」
 担当者の表情は意味ありげすぎた。それは、いいところでなかった場合の保険のような顔なのだ。
 植田は有り金をはたいて、老後は、そこで面倒をみてもらおうと考えた。
 非常に安いのだ。しかも、待ち時間なしで、いつでも入居できるという。
 その金額をみて、植田は決して安いとは思わなかったが、一度払えば、それでいいらしい。後は、生きた分勝ちだ。
「こういう物件もあることを、お知らせするのが、公務員としてのサービスですからね。後は実際に見られて、自己責任で、よろしくお願いしますよ」
 怪しい物件であることは、粗末な標識でもわかった。
 山間の小道は、林道ほどの道幅しかなく、当然未舗装だ。
 標識のあったところから、かなり歩いた先に、やっと人家が見えてきた。
 一つの大きな建物がそこにあると思ったのだが、そうではない。
 この山そのものが物件のようなのだ。
 そういえば、パンフレットもなかったし、部屋数を聞いても、曖昧だった。
 そういう建物がないのだ。
 しかし、人家らしきものがちらほら見える。堀立小屋のようなものだ。
 少し広い場所に出ると、洗濯物が鯉のぼりのように泳いでいた。
 一番大きな小屋には、火の見櫓のようなものが突き出ている。これが施設の事務所だろう。
 その前の広場に年寄りが、うじゃうじゃいる。
「自然放牧か」
 植田は、大体の感じをつかんだ。
「見学ですか」
 施設の人もかなりの年寄りだ。
「そうです」
「介護は無理ですよ。職員は三人ほど常駐してますがね。当てになりませんよ。食事は自炊です」
「部屋は?」
「小屋ね」
「はい」
「ないから、作ってね」
「一人でですか」
「使ってない小屋があるから、まあ、そこに入ったらいけますよ」
 つまり、山そのものが施設なのだ。部屋の概念はないようだ。
「米や野菜は用意しますよ。自分で作られてもいいですがね。そこの棚田。あれは、入居者が作ったものですよ」
「病気になった場合は」
「薬草程度です」
「でも、重傷になれば」
「祈祷程度です」
 医者と坊主には、連絡しますから。それに墓も作りますよ」
 植田は元気なうちに、ここに入居したいと思った。

   了

 


2009年4月4日

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