小説 川崎サイト



讃岐手打ちうどん屋

川崎ゆきお



 恒一が会社の行き帰りに、いつも見ているうどん屋がある。讃岐手打ちうどんと看板にあり、ただのうどん屋ではない。
 恒一はうどんは好きだが、駅前の立ち食い店ですませている。
 うどんが食べたい……ではなく、うどんでも食べようか程度の好きさ加減だ。蕎麦よりも、うどんのほうが好き程度だとも言える。
 その讃岐うどん屋が気になるのは、いつ通っても客の姿がないからだ。
 夕食時に通りがかっても客はいない。そんなことでやっていけるのかと、不審に思うようになった。
 店が出来てから二三年になる。住宅地のど真ん中だが、車や人の量は多い。スナックやケーキ屋等も並んでいる。但し駐車場はない。店の前に止められるほどの道幅はない。
 その近所に大衆食堂があり、うどんも出していたが、かなり前に潰れている。
 そして恒一は、なぜ讃岐手打ちうどん屋は潰れないのかと気になり、夕食時に入った。
 ガラス戸を開けると、いらっしゃいと、野太い声が返ってきた。
 大柄でイガグリ頭の男だった。
「はい、お客様ご一名ご来店」と、厨房に声をかけ、お茶とおしぼりを白木のテーブルに置いた。
 恒一はかけうどんを注文したかったが、言えるような雰囲気ではない。イガグリ頭のテンションが高いのだ。
 品書きを見ると、うどんすきや鍋焼きうどんなどの写真がプリントされている。
 天麩羅うどんは千二百円。
「かけ……」
「かけ、何をかけましょ」
 ダシをかけてくれとは言えない。
「ああ、ちょっと待って」
 恒一は品書きをもう一度見た。
 かけうどんはない。
「きつねうどん」
 イガグリ頭の眉が曇った。鼻の付け根に横皺が走っている。
「で、よろしんですか?」口元だけは笑顔を作ろうとしているのが分かる。
 イガグリ頭は伝票にチェックマークを入れている。そのまま動かない。次の品を待っているのだ。まだ、何かを期待しているのだ。
「以上で……」
 そのひと言で完全に腰を砕かれたのか、細い声で厨房へ注文品を伝えた。
 恒一はイガグリ頭と目を合わせないように、讃岐手打ちきつねうどんを食べたが、味も何も分からない。
 そして、なぜこの店が潰れないのかも分からない。
 
   了
 

 

 

          2006年04月30日
 

 

 

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