小説 川崎サイト

 

一円で泣く

川崎ゆきお



 佐久間は精神的な験担ぎ屋だ。
 つまり、縁起が良いとか悪いとかにこだわる性格だ。
 精神生活と肉体生活は共存している。気持ちは崇高でも行動が伴わない場面もある。
 佐久間にとっての精神部門は生きる指針だ。その精神的な事柄に関わってくるのが言葉だ。
 だから、言葉にこだわる。と、言うわけでもない。言葉遣いの達人ではないし、話し方がうまいわけでもないし、漢字を多く知っているわけでもない。
 佐久間の中での言葉は、内なる言葉なのだ。自分に言い聞かせ、自分と対話する言葉なのだ。
 それを自覚して生きているわけではない。何らかのことで、気になる程度だ。
 そんな場面が訪れた。
 大した内容ではない。人生的規模ではないが、指針的な意味が含まれている。
 それは、ファーストフード店で勘定をするとき、ポケットから小銭を出した弾みで、一円玉を落としてしまったのだ。
 それが人生の指針で、精神生活での重大事と繋がった。
 繋げたのは言葉だった。
 一円玉を拾おうとしたが、見あたらない。視界の中にない。
 レジで一円玉の用はない。そんな端数は出ていない。
 ポケットから取り出すときに一円玉が含まれていただけだ。握ったのを開けるとき、ぽろりと落ちたのだ。それが一円玉であることは、落下寸前に見たからだ。手のひらから飛び出すところは見えたが、それ以降は追跡できなかった。
 そして、このとき、佐久間の脳裏に浮かんだ言葉は「一円を笑うものは一円で泣く」である。
 一円玉を拾うエネルギーで一円分カロリーを消費するとかの理屈は考えない。
 佐久間の精神的規範の締まりは穏やかで、厳しいものではない。一円でも安い店で物を買うようなことは習慣化されていない。結構無駄遣いをしている。衝動買いも多い。
 だから、ここで一円にこだわる必要はないはずだ。
 しかし、言葉の呪縛は受け続けるようで、佐久間は一円玉を探して拾おうとした。
 だが、後ろに行列がある。店員は早く金を出せと催促しているような目つきだ。そのため、可能な限り迅速に拾う必要がある。
 佐久間は周囲を見た。
 すると、後ろの角に落ちていた。
 佐久間はさっとそこまで行き、手を伸ばした。
 一円玉に触れたがつかめない。つるんとした床のためだ。
 佐久間は爪で一円玉を挟んだが、するりと抜けた。
 今度は人差し指で押さえつけ、親指の爪で浮かそうとした。
 そのとき、キュッと音がしたように感じた。一円玉の音ではない。腰の音だ。
 痛みで、動けない。腰を上げるのも怖い。 だが、一円玉は無事回収していた。あとはレジへ行けばいい。
 佐久間はお辞儀をした姿勢のまま、ゆっくりゆっくりレジへ歩を進めた。
 佐久間は一円玉で笑わなかったが、痛くて一円玉で泣いた。

   了


2009年4月27日

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