小説 川崎サイト

 

森の守人

川崎ゆきお



「これを見なさい」
 守の案内人が苔だらけの岩を指さす。
「苔がはがれている」
 よく見ないとわからないが、確かにそこだけ地肌が見えている。
「何だかわかりますか?」
 観光客にはわからない。そこだけ苔がつきにくいのだろう程度の認識だ。
「後ろの、それですよ」
 案内人がリュックサックを指さす。
 旅行者は後ろを振り返る。
「いやいや、あなたのリュックサックですよ」
 旅行者は自分の後方に何かいるのではないかと思い振り返ったのだ。
「苔が剥がれているのは、リュックでこすれたのです」
 旅行者は苔の説明を受けるのかと思いきや、注意を受けた。
「気をつけてください。森を傷つけないようにお願いしますね」
 原生林はジャングルのようで、いろいろな植物が生え茂っている。
 森といっても山で、沢づたいの小道を進んでいる。
「この道は?」
 旅行者が聞く。
「観光のため、造った道です」
「広げたのですか」
「昔からある道ですよ。森の奥へ行くための」
 少し進むと標識がある。
 空中歩道と書かれている。
「あっ、吊り橋」
 子供が見つける。
「猿とか、鳥の視点で森を観察できます」
 吊り橋は、樹木を柱にし、長く延びている。
「あれって、木を痛めたりしません」
 先ほど、リュックでのことを注意された男が聞く。不快だったのだ」
「大丈夫です。痛めないように作ってあります」
「森の観察にはいいかもしれませんが、あの吊り橋も観察することになりますね」
「いえいえ、あそこから観測するためですよ」
 さらに進むと、ロープを握りターザンのように飛んでいる人が見える。
「パパ、早くいこうよ」
 子供は森よりも、その遊具が気に入ったようだ。
「できるかなあ」
「危ないからやめなさい」
「大丈夫ですよ。下にネット張ってますし、命綱をつけていますから」
 案内人が説明する。
「これって、原生林らしくないですねえ」
 リュックことで注意された男が、案内人に聞こえるような声でつぶやく。
「森を感じてもらうための施設です」
 案内人は質問されていないのに、返答する。
 子供は早く遊びたいのか、かけだした。
 父親が後を追うとして、急いだためか、足場が狂い、岩に手を突いた。
 苔に手を押しつけてしまった。
 父親はへこんだ苔を爪で必死に立てた。
 案内人は見ないことにした。
「こう言うのも、注意する必要あるんじゃない」
 リュックの注意を受けた男が、皮肉っぽく言う。
「あなた」
 案内人は男の足下を指さす。
「木の苗踏んでいますよ」
 男は足を上げた。草だと思ったのだが、小さな苗だった。
「苗もだめなら、草もだめなんじゃない。歩けないよ。この観光地」
 男は自然に触れる前に、人に触れてしまったようだ。

   了
 


2009年6月21日

小説 川崎サイト