小説 川崎サイト



牛丼屋

川崎ゆきお


 

 静かな夜だった。
 幹線道路だが、さすがにこの時間に走る車は少ない。亀でも横断出来るほど車間は長い。たまに大型トラックが走り去るだけ。この時間、移動する人間は限られている。
 自転車に乗ったその男は、夜型生活者なのか、昼間の行動を深夜にやっていた。
 男にとって深夜の三時過ぎは、昼過ぎにあたるようだ。遅い昼食を食べに、その幹線道路を走っている。昼間なら走れないような車道を悠々とペダルをこいでいる。
 その行き先らしい看板が前方に見える。大きな文字で牛丼と書かれているが、店は心細いほど小さい。いつ潰れてもかまわないためか、プレハブだ。
 横の駐車場はかなり広く、周囲は得体の知れない空きスペースが広がっている。そのため工事現場の仮設物置のようにポツンと建っているのだ。
 ドアも窓もガラス張りのため、外からも店内がよく見える。客はいないし、店員の姿も見えない。
 男は店の前に自転車を止める。カギをかける必要がないのか、そのまま店内に入った。
 いらっしゃいませ……と、いつもなら店員の声が聞こえるはずなのだが、今夜は無音だ。男は気にすることなく、食券機の前に立つ。
 男は千円札を差し入れ、牛丼の並と記されたボタンを押した。しかし食券もツリも出て来ない。男は何度もボタンをカチャカチャと押した。
 その気配で、客が来たことに気付いたのか「今晩はーいらっしゃいませ」とマニュアル通りの声を店員が発する。まだ十代のバイト青年だ。
 男は無言でボタンをカチャカチャいわせている。そのうち店員が何事かと思い、アクションして来ることを期待するように……。
 案の定、バイト青年は異変に気付いたらしく、カウンターの端から客席に出て来た。
「故障のようですね」
「札が入ったままだ」
「えーと、ご注文は何でしたでしょうか」
「牛丼並」
 バイト青年は食券機を開けようとした。
「こんな時間、一人じゃ心細いだろ?」
「そうでもないですよ。お客さん少ないので、一人勤務ですが、時間給はいいですし」
「僕も夜中に仕事をしているものでね。こうして、人がいるだけでもほっとするよ」
「そうですか……」
 バイト青年は曖昧な笑い方をした。
「たまに、ここへ来るんだけどね。この食券機、万札も使えるから重宝するよ。コンビニで深夜、万札は出しにくくてね」
「お客さん、今一万円札を入れられたのでしたか?」
 男は返答せず、困ったような顔を作った。開ければ千円札だと分かってしまう話だ。
 バイト青年がキーを持って来て、差し込んだ。しかしキーが合わないようだ。
「すみません。キーを間違えたかもしれません」
 そのとき、食券機の横のドアが急に開いた。洗面室のドアである。そこからバイト青年と似たような年格好の店員が現れたのだ。
「どうした? 故障か?」
「お客さんが万札を挿入したあと、反応しなくなったみたいだよ。キーも、これじゃない」
「見せてごらん」
 もう一人の店員はキーを見て、それは釣銭用に用意している厨房内のレジのキーだと説明した。
 そして、再び洗面室に消え、すぐに出て来た。食券機のキーを取って来たようだ。
 食券機はそのキーで開いた。
 客の男は一歩後ろに下がった。
 店員二人は男に聞こえないほどの小声で何かを喋り合っている。
 男はもう一歩後退した。一対二では、何事においても不利だと感じたのだろうか。
 店員二人は難しい顔付きでボタンをカチャカチャ押している。
 一人が千円札を挿入した。点灯するはずのメニューボタンが、どれも消えたままだ。
 そのとき、洗面室のドアが再び開き、三人目の店員が姿を見せた。
 男はさらに一歩後退した。
 三人目の店員はやや年上のようで、二人に何かを説明している。食券機についての説明のようだ。
 男は厨房の方を見た。天井の隅に監視カメラがあった。
 四人目と五人目の店員が揃って洗面室のドアから姿を現した。一人は工具箱を持っており、もう一人は食券機のマニュアルを開いていた。
 食券機の前で五人の店員が集合している。
 男は洗面室が気になった。トイレに四人もいたことになる。
 深夜の淋しい牛丼屋のイメージは吹き飛んだ。そして、五人もよく、こんな狭い建物の中にいたものだと感心した。
「ちょっと、トイレに行きたいのだが、通してもらえるかな」
 男は洗面室のドアを開けた。
 
    了
 
 
 

 

          2003年5月4日
 

 

 

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