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川崎ゆきお


 

 果たして何処までが真実なのだろうか。
 私は、ふとそんなことを考えた。それには何か思い当たるネタがあるはずなのだが、その言葉が口癖のようになっている。
 全てのことが信じられないわけではなく、その手前までは信じてかまわないと考える。
 その手前さえも、実は信じられない世界に属すのかもしれないが、嘘が暴露するまで問題はない。
 私は今日も煙草をくゆらせながら、喫茶店の片隅でノートパソコンを開き、仕事をしていた。
 実は真実がどうのと考えている暇などなかった。次々に来るメールに返事を書かないといけない。
 この仕事は社内でやる必要はないため、会社近くの喫茶店でやっている。
 そろそろ二時間以上喫茶店にいる。出ないと駄目だろう。客はまばらで、流行っていない店だがランチタイムになると不思議と混み出す。
 私は2キロを越えるノートパソコンをリュックに詰め込み、まるで刑罰で鉛の板を背負わされているような格好で、地下街にある客が来る恐れのない喫茶店へと向かった。
 考えてみれば、そんな状態の店が存在すること自体がおかしいのだ。それが真実というものだ。それなのに、その店は存在する。だからこそ、何が真実なのかが分からなくなる。
 だが、この程度のことは、私の人生には深く関わらない。したがって、真実がどこにあるのかなど、どうでもよいことだ。
 昼時の地下街はさすがに人通りが多い。それまで石の下にでも隠れていたような勤め人が湧き出る。私もその中の一人だが、最近は会社という石の下にいる時間より、喫茶店にいるほうが長い。
 会社は一人用のレンタルオフィスを借りてもよいと言ってくれたが、会社から離れた場所にあり、それに、そんな狭い場所では息が詰まるので断った。
 リュックのポケットには喫茶店の領収証が束になって入っている。月末に清算する。
 会社には私のディスクがある。最近は窓際族どころか窓外族と成り果てているが、それは私の我が儘で、リストラを迫られているわけではない。
 私がいないと、メールを捌けないはずで、それなりの役目は果たしているのだ。同僚はメールの送受信が出来ないわけではない。問題は、客からの問い合わせに答えるだけの商品知識が彼らにはない。マニュアルを参考にした程度では、明快に答えられない。なぜなら、その商品は私が開発したのだから。
 私は会社での貢献度に胡座をかいているわけではない。胡座どころか、仕事量が増え、過労気味なのだ。それでいて給料は同じなのだから、勤め人として失敗だったと思う。
 確かに役に立たない社員ではリストラされても文句は言えない時代だ。有能な社員になれば安泰だが、その分、忙しい日々となる。
 再び、何が真実なのかが分からないと呟きながら、私はその日、三店目の喫茶店のドアを開けた。
 予想通りランチタイムでも客はまばらだ。
 私は昼をまだ食べていないことを思い出し、ウェイターが持って来たメニューを開いた。
 私は改めて店内を見渡した。何度か入ったことのある、いつもの喫茶店周回コース内の店であることに間違いない。
 では、このメニューは何なんだ!
 私は、この店にランチメニューがないことに驚いたのではない。最近食欲がなく、あまり食べる気がしないので、ご飯ものがメニューにないことで落胆はしない。
 それは別のメニューだった。
 ウェイターは厨房前の定位置に戻り、表情を殺して突っ立ている。このメニューを置いて来たことに関しての表情は読み取れない。
 しかし、よく出来た洒落であると言える。
 私はノートパソコンを開けるのも忘れ、そのメニューに見入ってしまった。
 意外と、こういうところに真実が隠されているのではないかと思うのは、ひねり過ぎだろう。この意外なメニューを受け止めるには、そちらへ持って行かなければ収まりが悪すぎる。
 私は単調な仕事、針穴ばかりを一日中見ているような仕事ばかりのため、どうかしているのかもしれない。正常な神経なら、そのメニューを店の洒落と解釈し、まっとうなメニューを持って来させるだろう。
 私はどうかしていたのではなく、どうかしてしまいたかったようだ。
 仕事はうまく行っていた。その将来に希望を失い、へこんでいるわけではない。自信家ではないものの、不安に襲われたり、パニック症状が出ることもない。つまり、妙な気を起こし、自分を見失うような精神状態ではない。
 しかし……である。最近の私は、ストレス気味であることを自覚している。そのため、社内で仕事をしないで、喫茶店に持ち込んでいる。でないと息が詰まるためだ。
 仕事とは無関係な人々がいる場でのほうが開放的な気分になれる。その行為は確かに妙だが、それでバランスが取れていた。
 上司も私の我が儘を黙認しているし、喫茶店代も必要経費で認められている。それは私が認められているということでもあり、妙な行為も公認されるだけの社会性があるためだ。
 妙な行為でも、第三者が認めているのと、いないのとでは話が違う。私は前者であり、まんざら悪くはない存在だ。
 そのメニューを見たとき、私にはその種の逃避は必要ではないと考えたのだが、それならすぐに無視し、ウェイターに正規のメニューを持って来させるはずだ。 
 どこか私に逃避を望む不都合な箇所があるのだろうか。それとも、これはノーマルな人でも誰もが抱くことなのか。
 確かに全てのことがうまく行っているわけではないが、将来に希望がなく、この場から逃げ出したいと思うようなことはない。
 ではなぜ私は、このような逃避願望を満たしてくれそうなメニューに見入るのか。
 私は、それを単に好奇心を満たすための健全な行為だと解釈した。
 そしてメーラーを起動したとき、忘れていたことに気付いた。昼時なので、やはり空腹なのだ。何か食べる必要がある。
 それでまた、このメニューの問題になる。正しいメニューに取り替えてもらわないといけない。だが、このメニューに触れることになる。間違ったメニューだが、私がそれを見たことをウェイターは知っている。見たでしょ、このメニュー、どうですか? 注文しないのですか? と聞かれそうだ。
 すぐその場で、このメニューは違うので、きっちりとしたものを持って来なさい……と言っておけば、よかったのだが、数分経過している。
 その数分は、私がメニューを受け入れ、思案していたことを敵に示すことになるのだ。それを見透かされていることが面白くない。
 私は、ここで食べなければいいのだ。
 私はホットドッグが食べたかった。この種の純喫茶にある可能性は高いが、絶対的なものではない。メニューを見れば分かることだが、今になってはその可能性も断たれた。
 受信されたメールはスクロールしないと一覧が見えない。
 私は既に集中力を失っていた。あまりにもこの仕事ばかりに集中し過ぎ、これが私の世界になっていた。そこに魔が差すような感じで、何かが刺さったのだ。
 何かではない。はっきりとしている。あのメニューだ。
 世界は広く、世間も広い。豊かな世界がいくらでも転がっている。人はその中の任意の世界で暮らす。だが、バランスよくだ。
 そのバランスが、私の場合、悪かった。
 私は今の仕事や暮らしぶりに満足している。決して悪い生き方ではない。そう思い込みたいわけではなく、事実そうなのだ。
 私はメニューを手にし、もう一度開けた。
 ウェイターが、お決まりですか? と聞きに来た。
 私はAコースと書かれた文字に指を置いた。
 しばらくお待ちください、とウェイターは普通の声を発し、メニューを片付け、立ち去った。
 私はノートパソコンを閉じ、ひとつ大きく深呼吸した。
  
    了
 
 

 
  
          2003年4月24日
 

 

 

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