川崎フォトエッセイ  その166  土管    ←前 次→  HOME


 一昔前は、野原は子供の集合場所だった。少年漫画でもよくその風景が出てくる。今でもそんな背景を使っている漫画家もいる。野原には必ず土管が出てくる。その土管は子供なら入れるほどの太さで、隠れ家や基地として使われる。

 放置された野原も、放置された土管も、それなりの訳があるはずだが、その事情は少年漫画では語られることは少なく、単に風景として出てくる。少年達のドラマよりも、その背景のほうが遙かにドラマチックかもしれない。

 意味不明なものは、風景として把握したほうが整理しやすいようだ。その奥底を垣間見ると、尋常では居られないことが多いので、敢えて詮索しないで、風景の一部としてみるほうが、余計な感情を働かせないですむので便利なのだ。

 創作ものの群衆シーンで、一人一人の人生にスポットを当てると、時間がいくらあっても足りないのと同じで、背景の個々のオブジェも省略されることになる。