川崎フォトエッセイ  その270  雑然    ←前 →次  HOME


 雑然とした風景は、あまり自然の中にはない。自然の中の「雑」とは雑草、雑種、雑菌とかを連想するが、そのものが決して「雑」なのではない。

 街中の雑然とした風景も、一つ一つは決して「雑」ではないのだが、それが集まったり、動いていたりすると、とりとめのない印象を与える。人々が行き交う雑踏なら、まだしも殺風景さはないが、車の渋滞風景とかを見ていると、形容のしようがない景色となる。言葉が見つからないため、どこにも分類できないので「雑然」でくくるしかないのだ。

「雑然」は状態で「雑」の中に、分類しやすいものが含まれている。しかし、それが外かは見えにくいため、不調和音の要素としてしか、聞こえてこないのだ。

 雑然とした状態でも、たとえば信号待ちとかの秩序は生きている。つぎはぎだらけの路面でも、穴が開いているわけではない。当然車内の人達も、雑然とした存在ではない。それでも、釈然としない空気がそこに漂う。