川崎フォトエッセイ  その285  物心    ←前 →次  HOME


 物心は付いているにしても、その当時の記憶はほとんど覚えていない。まあ、二三日前の記憶さえ曖昧だが、それはどうでもいいような記憶で、印象に残るような出来事なら、思い出すことはできる。

 子供時代の記憶は、具体的には思い出せなくても、感情的な形で残っているのかもしれない。感情だけが残ってしまい、尾を引いているのだろうか。その感情は非常に単純なもので、怖いとか、嫌だとか、楽しいとかである。快不快というのだろうか。電気信号的な記号のようだ。

 それらの記号が、大人になってからの感情生活の中で、きっちりと配置され、その配置だけが、品が変わっても実行されるのだろうか。

 どこまでが先天的で、どこからが後天的なのかはわからない。ある岩場に、ある種の貝が付着するのと同じで、特定のものが付いてしまうようだ。しかし、そんなことを詮索しても、あまり現実は変わらない。