川崎フォトエッセイ  その407 クラシック       HOME

 古き良き時代、それが本当によかった時代なのかはわからないが、今から見ると、今に欠けているものが一昔前には存在していたことがわかる。

 その欠けているものは、別に、今の時代になくてもかまわないし、またそれは何かで置き換えられているはずである。その意味で、感性的な欠落箇所が、クラシックなものに求められるようだ。

 それは、ブロックの塀ではなく、木の塀であり、プラスチックカメラではなくメタルカメラだ。乗り物も、クラシック風デザインが取り入れられていたりする。

 古き良き時代には戻れないが、その感覚だけは、活かせることができる。  石炭を焚いて蒸気機関車を東海道本線に走らせるわけにはいかない。それはわかりきっている。しかし進歩しすぎたことで、バランスが悪くなることがある。クラシックなものが求められるのは、その穴埋めかもしれない。