川崎フォトエッセイ  その440        HOME


 お盆には先祖の霊が帰ってくる。しかし、ほとんどの人は、帰ってきた霊を見ていない。見えなくても存在するものは他にもあるため、ご先祖さんが目の前にいなくても、帰ってきていないという証明にはならない。

 感覚的なもの、想像的なものでも、既成のこととしてガンと存在しておれば、たとえ嘘だとわかっていても、在るものとして認めざるを得ない。

 信仰や文化は、必要性があってできたもので、時代によってそれも変貌している。そこに矛盾点があったとしても、それを超えるだけの象徴性が必要とされるのである。

 現実というのはわからない。霊が存在するかどうかも、実際にはわからないのである。「霊」という言葉が意味しているものは、あの世の存在を肯定することでもある。普通の人たちにとっては、あの世も霊も見えるような存在ではなく、この現実とはかけ離れた世界である。

 あの世の存在よりも、あの世がこの浮世に与える影響力のほうが、より現実的だ。