川崎フォトエッセイ  その464 見える       HOME

 中が見えると安心することがある。少なくてもどうなっているのかという心配だけはしなくてすむ。中を見せることによってある程度正体を明かすことになる。

 中が見えなくても、察しがつくこともあるが、確実に見たわけではないので、想像の次元でとどまることになる。できれば想像する手間を省きたい事柄があるものだ。

 中を見せる側も、それなりの決心がいる。見せたがために、相手が思っていたものと違う場合、そこで引き返してしまうかもしれないからだ。

 その意味で、中を見せるのは一種のサービスだろう。逆に見せないことで、想像の楽しみをサービスすることもある。
 また、中を見せることによってトラブルの回避になることもある。

 ブラックボックス状態の事柄が多くなればなるほど、視認性の良いものに出会うとホッとする。