川崎フォトエッセイ  その576  内側      HOME

 内側は任意の事情が濃い世界で、外側も任意でローカルなのだが、世間一般という規範がある。

 内と外の関係は、スライドするようで、より広い外に出たときは、今までの外が内っぽくなる。しかし人が暮らす街は、世間一般の規範内にある標準的な外の世界だ。

 外を行き交う人々は、内から見れば外の人々なのだが、その人々も任意の内から外に出ているだけで、世間一般の人という抽象概念だけの存在ではない。

 内の世界としての私有地や家も、世間と同じ土俵の上に乗っかっている世界で、住み手や所有者の痕跡を残すものの、見た目は世間一般の様式と変わらない。

 内や外を意識するのは、意識する個人の展開が原因かもしれない。外を感じるときは、内を意識することであり、内を感じるときは外を意識することでもある。

 個人的で微妙な事情なりが内の世界を作っており、これは問いたださないとその内側は見えない。