川崎フォトエッセイ  その638  ダルマさん      HOME

「達磨」は「ダルマさん」になることで、抽象的な存在になっている。それは一つのシンポルでもある。これは民衆が作った「ある気持ち」の象徴かもしれない。

 ダルマさんは「七転び八起き」が出来る人で、粘り強く堪え忍ぶ。我慢強さには一種の美徳となる。それだけ我慢することは難しい。

 ダルマさんが少し滑稽なのは、我慢行為での緊迫感を維持し続けるところにある。我慢は美徳だが、それをからかってもかまわないような健康さが、ダルマさんにはある。

 我慢は苦痛である。出来れば我慢などしたくはない。我慢しないでクリアできる方法を他に見つけることもあり得る。それに何のための我慢なのかをよく考えると、馬鹿らしく思えることもあるはずだ。

 不本意なことで我慢を強いられることなども、ダルマさんは背負っているのだろうか。

 ダルマさんのスタンスは安定している。それをからかってはいけない。