川崎フォトエッセイ  その653  見立て      HOME

 同じような形のものが二つ並んでいると、人間の目に見えやすく、それを目玉として見えてくると、その周囲を顔に見立てたり出来る。

 見立てているものは、形よりも配置によるパターンかもしれない。パターンは抽象的なので、そこに色々なものをの乗せることが可能だ。

 この種の錯覚は超個人的な遊技のようなもので、声を大にして人様に発表できることではない。つまり密やかに思っている妄想に類する。

 アートなどでは、その見立て遊びの面白さとかが作品となり、社会的にも危なくはない。

 個人が漠然と感じていることは、コミュニケーションには引っかからない情報なので、敢えて言う必要もないのだろう。

 逆に人の顔が何かの物体に似ていることもある。これも密かに思っている程度で、それを問題にするようなことは日常の中で少ない。非常に些細な感想なので。