川崎フォトエッセイ  その716  織りなす       HOME

 自然が織りなすものと、人が織りなすものとが同じ視野に入っているとき、聖と俗の関係が見え隠れする。

 当然僕らが生きている世界は「俗」の世界で、泥臭いものを背負いながら、ローカルな場所で、ローカルな事情にギクシャクしたり、楽しんだり、悲しんだりしている。

 自然が織りなす景観を見ていると、人の気持ちや生き方と関わりなく、超然としているように見えてしまう。しかし、人の生き方が、自然現象を変えることも確かで、青い空も白い雲も、太古と同じものではない。海も河川や森林にも、人の影響がモロに出ている。

 それでも大自然は、大自然で、個人の視点に立って眺めると、聖なるドラマとして映る。俗なる位置にいる僕らとしては、やはりこの対比は決定的だ。そして、僕らの身体も大自然の一部であり、同じもので出来ている。