川崎フォトエッセイ  その825  諦める       HOME

 機能は同じでも、雰囲気やシステムが違うものがある。それだけ、方法がいろいろあるということだろうか。

 複数の方法があり、自分がどれを選ぶのかは、当然ながら自分にかかっている。その自分は、自分だけのための自分ではなく、周囲の人々や仮想している人や人々の思惑と重ね合わせながら調整されている。

 常に今の自分を表現したような仕掛けを作りたいものなのだが、それが建物のように固定度が高いものになるとズレが生じる。思惑は刻一刻変化するが、建物はそれに追従しない。当然ながら内装や外装は多少手直しできる。しかし、根本的なズレは修正されない。

 しかし、仮想している事柄が、常にすばらしいとは限らない。そういうことをもう無くしてしまった状態も安定するからだ。

 諦めると言うことは、それに煩わされることなく、今のシステムで機嫌良く暮らすことでもある。