川崎フォトエッセイ  その930  祀る       HOME

 祀り続けられているものは、今もまだアクティブな関係が続いている。祀られなくなったものは、祀り手が絶えたのだろう。

 子供を授かりたいとか安産出来ますようにとかは、太古から変わらぬ需要がある。人間にとって基本的な願いである。そしてこの問題ばかりは、いくら医学が進歩しても、人間の身体はそれを越えた振る舞いをする。また精神的ケアーだけでは解決してくれない問題もある。

 百パーセント大丈夫なことなどこの世にはなく、不測の事態がいつも目の前に待っている。その確率が非常に小さなものであっても、その不安を何らかの形で補いたいはずだ。

 祀る行為は聖なるものと対峙することである。その効果など、現代人は頭の中では信じてはいないかもしれない。しかし、聖なるものとの繋がりに意識的になる行為は、この時代になっても綿々と続いている。