川崎フォトエッセイ  その956  焼き場       HOME

 使われていない火の見櫓のように、使われていない火葬場がある。

 古くからあるような墓地は、土葬時代の名残もあり、樽型の棺桶を置く石台もある。

 村落にある焼き場は、誰かが死ぬと煙突から煙が上ったりするため、死は身近なものになる。公設の焼き場は、今誰を焼いているのかさええ分からないだろう。

 死の実感が弱くなったのは、生々しい装置が外からでは見えない事とも関係しているかもしれない。

 見えなくしてしまうことで、日常が過ごしやすいこともあるが、その事が消えてなくなるわけではない。蓋をしたり囲ったりで、目隠しが施されているだけで、中では同じ事が行われている。

 以前なら、日常の中で、それを垣間見ることが出来たかもしれない。日常と非日常の境界線がはっきりと別れているのではなく、そこはかとなく繋がっている辺りに、程良い距離感があったように思うのだが…。