川崎フォトエッセイ  その975  門を潜る       HOME

 門の内と外とは違う世界なのだが、広い敷地内にある建物の門などでは、内も外も同じ景色の場合がある。

 門にまつわる言葉は多い。いずれも人との絡みで発生するようだ。場所と場所との境界線で使うこともあるが、人為的な場所が多いようだ。

 何かを習うとき、入門すると言う。そこに門らしき物がなくても、問題はない。

 見知らぬ門を潜ることも入門だが、人との絡みはほとんどない。門も人も物理的な現象に近い関係である。

 しかし、由緒ありげな門を潜るとき、多少精神的アンテナが立つようで、そこが聖地なら聖なるアンテナが立つ。

 お寺の山門を潜るとき、物理的な出入り口以上の添加物が加わる。単に散歩や観光で寄った場合でも、何者かに成りすましたような気概になる。これは気構えの問題で、何に気構えているのかと考えると、滑稽になることもある。