川崎フォトエッセイ  その985  自然の言葉       HOME

 何を見ても、それは自分自身を見ているようなものだという見方がある。確かに人は主観的にしかものは見えないが、それが悪いことだということも、また主観でしかない…などの言い方もある。

 どんな状況でも自分自身をどこかで投影させている。そうでないと機械の反応になるだろう。

 自分が感じていないことでも、それがグローバルな意見である場合、それに同調してしまうことがある。頭の中では分かっていても、感情が伴なわないこともある。

 しかし、全ての事に対し、感情を起動させるのは不可能で、情報に振り回されることもある。

 自分の言葉だけで物事を語ろうとすれば、非常に狭い範囲内の事柄しか語れなくなる。

 しかし語らなくても、感じていることはある。それはイメージ的な情緒で、言語化以前のため息のようなものだ。

 自然は言葉を持たない。

 

 

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