川崎フォトエッセイ  その1135  薪割り       HOME

 火が必要なときは、薪が利用されていた時代がある。薪は、近くの里山などで、手に入れることが出来た。家を建てるような伐採ではなく、落ちている木の枝や、余分な枝を切る程度なら、問題はなかったのかも知れない。

 今は、薪にするために木を切るようなことは、もったいなくて、出来ないだろう。薪にはそれほど商品価値はない。それより、森を守る方が、価値が高いはずだ。

 今の時代、薪となるような木は、廃材などから得られるのかも知れない。建て壊された木造建築などからだ。

 そのため、薪が完全に消えてなくなったわけではない。

 しかし、薪割りの光景などは、時代劇でしか、お目にかからない。考えてみれば、人件費のいる作業だ。

 暮らしの中での手間暇は、少なくなったが、薪を割るような時間的ゆとりは、羨ましいような気がしないではない。

 

 

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