川崎フォトエッセイ  その1194  ものごころ       HOME

 幼いころ行った場所でも、大人になると、行ったことも忘れていることがある。赤ん坊なら、全く記憶がないだろう。

 物心が付いた頃とは、大人になってから思い出せることで、死ぬまでその記憶は残っている。実際には、意識的に思い出せる記憶で、意識的であることが、曲者ではある。

 親が、子供をどこかへ連れて行き、年月を経た後、そのことを子供に語っても、子供は覚えていない。そのため、親は、そのときの様子を語る。

 その話を、子供は体験した記憶と同じように、頭のアルバムに入れる。しかし、実際にその場所へ行き、その場所にいたのだから、嘘ではない。

 物心が付いた頃、赤ん坊の頃の話を聞かされると、覚えていることと、教えられたこととの区別が、大人になると曖昧になるかもしれない。

 記憶は、パソコンのハードデスクのような場所にファイルとして、物理的に書き込まれているような錯覚がある。

 その方が、分かりやすいからだ。