川崎フォトエッセイ  その1210 行者      HOME

 何らかの精神状態に達するために、山や渓谷などに入り込み、修行することがある。

 自然の中に身を置くことで、何らかの体験をするのだが、単に山歩きや、登山やハイキングとは異なる。それは、ポイントとなる目的や気持ちが異なるためだ。

 過酷な修行と言うことでは、スポーツ選手などは、修験者以上のことを年中やっているかもしれない。

 目的が精神的な境地や、独自の間合いとかを会得するための修行は、スポーツとは異なるものだろう。

 それに、スポーツ選手よりも遙かに高齢な人が、過酷な山歩きを連日連夜続けるとなると、肉体的な限界を遙かに超えたところに達している可能性がある。

 スポーツでのトレーニングは、それなりにメニューがあり、管理されている。しかし、修行者のそれは、それを超えたところでないと、開けてこない気分があるのかもしれない。