川崎フォトエッセイ  その1226 幻想論      HOME

 同じ幻想でも、それが映される背景により違ってくる。

 ミスマッチな幻想は、その幻想よりも、その背景、バックスクリーンにあるように思える。

 それが幻想であるのかさえ見極めが難しいほど溶け込んでいる幻想もある。そうなると、もう幻想とは思われなくなり、逆に言えば、幻想のうまみが無くなる。

 幻想はリアルな次元とは違うものが混ざっているときに判明する。その違いは人なら先天的に持っている感覚で、現実とバーチャル的なものとの区別は、意外と区切れるものだ。

 全てのことが個人的な幻想か、集団的な幻想にしか過ぎないという言い方もあるが、日常的な暮らしをしている人にとって、抜き差しならない現実を、個人幻想や集団幻想として引いて見るようなことはしないだろう。

 常識の水平は、子供にでも分かるほど、はっきりと存在する。何かおかしいなあ、と、単純に分かるはずだ。

 幻想論は、何らかのことを誤魔化すために方便となることが多い。