川崎フォトエッセイ  その1250 好み      HOME

 人の好みは対象によって見出される。

 自分が何が好みなのかは、そのままでは見えてこない。

 好ましく思えるものは、そう思える側、つまり自分自身側にある。対象物にはないのかもしれない。

 好ましくないものも同じで、そのものが好ましくない存在なのではなく、好ましくなく感じる側の問題だろう。

 しかし、普遍性の高い「好ましい現象」がある。その人の問題ではなく、最初から、好ましいと思えるような現象だ。

 その現象は先天的に持っている感度のようなものだろうか。ある風土の中で暮らしてきた民族なら、同一の「好ましい現象」を最初から持っているように思える。

 そうなると、自分自身が見出すと言うよりも、それは決まり事として、最初からパッケージ化された感覚だと言える。

 誰もが好ましく思えるものに対して、そう思えない場合は、何処かで自分自身を捻っているのだろう。その場合ローカルすぎる主観と言うことになる。