川崎フォトエッセイ  その1488 道標      HOME

 石の道標、道しるべは、車社会ではもう必要がないものだ。
 しかし、旧街道と同じ場所を走っている国道などでは、この古い道標が残っていることがある。
 その道標は道路標識ではない。道路標識は、車社会のものだ。
 地面を蟻のように移動し、道しるべを見る感覚は、ハイキングコースにでも入り込まないと、ありがたみが分からないだろう。
 車社会での道路標識には人生とかの臭みのあるものを乗せるわけにはいかない。道を人生と重ねた時代は、道しるべがあった時代だろう。
 車社会での道標は、単に機能的なもので、そこには何も含まれていない。
 車は単に目的を果たすためにある機械なので、過程に含まれる臭みがない。
 目的を効率よく果たすことは必要だが、実際にはそうはいかないところに、人生の含蓄がある。

 

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