川崎フォトエッセイ  その94  たばこ    ←前 次→  HOME


「切手」「たばこ」「塩」などの看板は、真面目な看板である。まあ、それは真面目でない看板も多数あるためで、上記のような地味な看板は、逆に目立ったりする。

 看板が指し示しているものが、確実にあるわけで、それがない場合は、看板の意味を失っており、指すものを失った看板と言うことになる。ちょうどファイル名だけで、中身がなにも入っていないファイルのようなものだ。

 看板は実体ではないので、看板から実体を想像することになる。これは別に大した想像力が必要なわけではなく、その看板に興味がなければ、文字通りの推測で終わる。たとえば、塩の看板なら、塩の銘柄までは思い浮かべない。

 煙草を吸わない人なら、煙草の看板を見ても、煙草を売っている場所がある程度で通過するだろう。

 看板でしか知らない商品や情報もある。くどいようだが、看板は実体を指すだけの機能だが、看板そのものが実体になっている看板も、見る側の事情で、存在してしまう。

 指しているものよりも、看板そのものが面白いといった感じだ。