川崎フォトエッセイ  その114  漁村    ←前 次→  HOME


 農村の中の住宅地で生まれ育った僕は、農機具を見ても、それほど驚きはない。これは子供の頃から見続けているためで、大した意味はない。
 農村には馴染みはあるが漁村にはそれがない。漁船を見ると驚いてしまう。しかし漁船の存在を知らないわけではない。ないが、本物を目の前で見ると、情報量が違うためか、新鮮な情報が頭の中に書き込まれる音がする。もちろんそんな音はしないが、数値にならないような情報が頭に入り込むのだ。
 それは映画と演劇の違いのようなもので、同じ時空間内で見るためかもしれない。触れば触れることもできる。
 僕の頭の中では漁船は耕耘機には当てはまらない。漁船には乗ったことはないが、ボートには乗ったことがある。遊園地のボートだ。辛うじてそれに当てはまるようだ。
 個人的な当てはめ方で何らかの把握をしたがる。雛形をもとに理解しようとするのだ。しかし、海と池とが違うように、手前勝手な把握の仕方は危険なのはいうまでもない。