川崎フォトエッセイ  その290      ←前 →次  HOME


「竹を割ったような性格」は誉め言葉といえる。悪い意味ではない。「ねじれた性格」の人よりも、つきあいやすいためだろうか。つまり、わかりやすいのだ。

 竹をパンと割ると、中身は空洞だ。何も入っていない。腹蔵のなさ、腹に一物ない。と、いう感じで、言葉や行為と気持ちが額面通りに出ているのだろう。これは気性のあり方だ。

 確かにねじれた性格の人とはつきあいにくい。言ってることが、違った意味を指していたり、答え方も、本音をはずしている場合は、こちらで翻訳しないといけない。まあ、慣れた相手なら、解釈のやりようもあるが、初対面だと、額面通り受け取ってしまい、思わぬところで期待はずれのショックでダメージを受けたりする。

 過小な表現や、過剰な表現も、誤解を招きやすい。そのねじれた性格の人が、善良な人間だったとしても、わかりにくさは、相手に不快感を与える。なぜなら、いい人だけに、裏切られたような気になるからだ。