川崎フォトエッセイ  その382      ←前 →次  HOME

 塀とか路面は被写体にはなりにくい。メインになる被写体の背景として扱う場合が多いからだ。

 しかし、それらもカメラさえ向ければ、そんな意味などお構いなしに絵にしてくれる。絵は主観的なものだが、絵という認識で見ると、絵と言えないような絵がいくらでも存在している。これは絵にならない絵のことで、そのため絵としては扱わない。

 それもまた主観的な問題で、その人が絵として感じることができれば絵となる。

 日常の中で、その種の絵心を刺激され、一瞬でもいいから絵を意識するのも希である。これもキャッチできるかどうかも、その人にかかっている。

 普通の絵画など見向きもしない人でも、ある光景を見て、絵画を鑑賞しているのと同じ気持ちになる場合がある。それのどこが気に入ったのかは、詮索するのは希で、もっと絶対的なものである。たとえそれがパターン化された罠であっても、その感情が起こったのなら仕方がない。