川崎フォトエッセイ  その456 起爆剤       HOME

 時代の最先端をゆくものを見たときの「驚異」があるように、時代に取り残されたものとの遭遇による驚異もある。この二つのものは日常の中で見いだすことは珍しくはない。つまり、展示会や博覧会へ出かけなくても、日常の中に転がっているからだ。

 驚異は心配事にも繋がる。未来を先取りした建物に住むことに対する心配、または戻りすぎたことへの心配。それらの心配は能率や機能よりも、生理的なことにも絡んでくる。情緒面での不安とかだ。

 また、未来よりも過去のほうが思い出は多い。未来は仮想するだけで書き込まれないが、過去は書き込まれている。その中にエピソードが肉のようにこびりついている。それが不快なもの、避けたいもの、思い出したくないもの……つまり、忌まわしいものとして小箱に入れられる。

 その人の持つ理想としてのセンスも、過去の忌まわしいものをフォーマットすることが起爆剤になっていることもあり得る。