川崎フォトエッセイ  その590  鬱な路地      HOME

 以前、賑わっていたところほど寂れてしまうと落差も大きい。最初からひっそりとした佇まいだと、安定した淋しさがある。

 店があり、人が行き交った痕跡が何処かに残っており、そこから推し量ると寂れた状態と見てしまい、閑古鳥しか飛んでないような印象となる。

 歓楽街とかでは、賑やかさを求めてくる人が多いため、景観が鬱だと、なおさら人が集まってこない。

 しかし、躁状態の人が、頭を冷やすために鬱な場所を必要としているかもしれない。世の中に不必要な場所は存在しないとは断定できないが、何らかの意味は見いだせるはずだ。

 時代から取り残された一昔前の風景は、ある意味で未来を先取りしている。良い状態だけの先取りではなく、悪い状態こそ、今を生き抜くための参考になる。

 しかし、寂れることは生活面ではよいことではないが、通りすがりの散歩者にとっては味わい深い苦味がある。