川崎フォトエッセイ  その616  日常中      HOME

 自分とは関係しない人々に対しての記憶は曖昧である。それは覚える気がないためだろう。

 今後関わる可能性のある人に対しては、それなりに覚えているものだ。その必要性が将来にあるためで、二度目に会ったとき、知らないでは失礼だ。

 任意の人と、将来関わる可能性を秘めているとき、大げさに言えば生きるための情報を集めるのは自然な行為であるため、注意深く観察するだろう。その観察が生死を決めるほど、深刻ではないにしても、生きる上での必要事項として重要である。

 自分の将来に関わらない人でも、純粋に観察することもある。何か気になるような人とか、関わりたく思っているタイプの人とかだ。

 仮想の未来を思い浮かべたりするとき、理想のビジョンという意味で、仮想的に関わることもある。

 現実に関われる人は限られているだけに、選択から離れてしまったタイプは気になるものだ。