川崎フォトエッセイ  その662  流れ去る      HOME

 見かけにくくなったものを注目していると、時の流れを感じる。どのレベルから「流れ去った」と表現していいのかは、ものによっても異なるが、それを作ることがなくなった時点で、遠いもののように感じるようだ。

 時代は、自分を中心に見たほうが感覚としては分かりやすい。これは個人史の世界であるため、同世代でも同じものを共有するとは限らない。

 流れ去った記憶は曖昧である。今まで体験した記憶に全てアクセスできるわけではない。記憶を記憶しているようなものでもあるのか、何かを見て、具体的な記憶を引っ張り出すのではなく、それ以前に瞬間的に把握しているようなところがある。つまり、言葉や思い出をたぐらなくても、自分にとって必要な情報は、瞬時にフォローされている感じがする。

 これは、何のために過去データを参照にするのかという、その時の状態と関わるフォローの仕方のようだ。

 作為的に時の流れを感じる必要はない。感性が何を演算しているのかは、今の気持ちとひと繋がりのようにも思えたりする。